センダイ6

深夜2時半、車に拾われた。高校時代からの仲の良い友達グループが、今日から3日間のための旅行計画を立てていた。それが実行された。僕はこの旅行が今日の深夜から開始であることを、直前まですっかり忘れていた。だから旅は急に始まって、半ば連行されるような慌ただしさで車に乗った。僕たちは6人で仙台に向かった。
僕も交代で車の運転を担当した。7人乗りの大きな車の運転は初めてなので、慎重に運転した。皆に言わせれば、僕の運転は下手らしい。僕がハンドルを握っている限り、だれも気が休まらないようだ。後部席の面々から、左寄りすぎ、ウィンカー出せ、赤信号止まれ、ウィンカー消せ、ブレーキもっと優しく踏め、左折のとき右に振るな、と矢継ぎ早に指示を受けた。僕はひとつひとつに「ハイ!」と返事をし、ハンドルを修正した。後部座席から「俺、お前の運転好きだわ」という声が届いた。
今は運転席を譲り、福島県福島市あたりを通行している。仙台まで、ドライブは続く。通常ならすでに寝ている時間なので、眠かった。車内にいるうちに、寝ようとした。でも眠れなかった。

眠れなくて、視界がずっとこれだった。雨が降りだした。

線状降水帯に襲われていた。線状降水帯という現象は、僕の人生に急に出てきたなと思う。20歳くらいの時からニュースで「巨大な線状降水帯が発生し…」などと言われだした印象がある。昔はそんなもの、なかった気がする。調べたら、「線状降水帯」は2007年に気象庁気象研究所の著書『豪雨・豪雪の気象学』で初めて定義され、ニュースの天気予報でこの用語が使われだしたのは2014年くらいかららしい。名前がつけられたことで、雨雲が帯状に広がっているとき「いま僕たち、線状降水帯に襲われているぜ」と言えるようになった。
まもなく仙台に到着した。仙台は初めてだった。ここに来た目的は、ホヤを食べることだった。三陸地方の冷たい海水の恩恵で、宮城県はホヤの養殖がひじょうに盛んだ。弊グループのメンバーのほとんどは、ホヤを食べたことがなかった。「海のパイナップル」とも呼ばれるその味を、本場の朝市で確かめるのだ。

エルデンリングにでも出てきそうな、えげつない見た目の生き物だ。少しでも刺激をくわえると、爆発しそうな雰囲気。

突起が二つある。お店の人曰く、先端の穴が「+」の形をしている方が口で、「-」の形をしている方が肛門らしい。そんなにわかりやすくインプットとアウトプットが設計されているのか。エフェクターみたいだ。ますます謎の生き物。
確かめたいのは、味だけではなかった。僕は、エビ、カニ、タコ、イカ、ホタテやアサリなどの貝類に食物アレルギーがある。これらを食べると、軽いアナフィラキシーの症状を起こす。魚とか海藻はいける。では、ホヤはどうなのだろうか? ホヤが美味いかどうかの前に、僕はホヤを食べられるのかどうか……これを確かめたかったのだ。
食物アレルギー研究会の分類でいうとエビ、カニは「甲殻類」、タコ、イカは「軟体動物類」、貝は「貝類」にあたるらしい。ホヤはちょっと貝っぽくもあるけど、実際は「尾索動物」というカテゴリにあり、貝とはまったくの別物。とはいえ海の生き物だし、売り場ではサザエとホタテに隣接するところにあるしで、僕の直感は「コイツは敵だ」と告げている。でも、食わず嫌いはしたくなかった。だってもしかしたら、これが僕の今後の人生を揺るがす美味をしているかもしれない。

お店の人にお願いして、捌いてもらった。醤油をかけてもらった。ようやく食べ物然とした見た目になった。僕は箸で、身の一つをつまんだ。
胃に入れて即座に死んだりしたら洒落にならないので、初めは舐めてみた。舌触りに、特に違和感はなかった。味もよく分からなかった。次に、口に入れて咀嚼してみた。うおっ。味は少なかった。ただほのかに、海を泳いでいるような味がした。海水由来の塩分が強くて、海そのものの味がするのだ。食感がグニグニと楽しく、風味は存在するので、美味しいけど、まあ、別に……って感じだった。噛んでも喉が疼く感じがしないので、アレルギーの方も問題ないと判断して飲み込んだ。トロヤは生存した。僕はホヤを食べることができる!
ホヤ完了。
我々はホヤの思い出を抱え、車に戻った。運転者が「これから登山をするぞ」と言った。旅行のしおりを見ても「登山、熊注意」とだけ書かれていて、いったい何の山に登るのかはそいつ以外には秘密にされていた。こんな雨のなか、山登りをするの? 運転者は「到着するまで、みんな目を閉じろ」と言った。僕は目を閉じた。

目を開けると、日和山の登山口にいた。標高3メートル、日本一低い山だった。なるほどと思った。たしかに「熊注意」と書かれた看板もあった。他にも「遭難注意」「落石注意」など、まさに地元民のユーモアって感じの立て札があった。この山は東日本大震災の津波で一度山体が消滅したらしく、その後に有志の手によって造成され直したらしい。だから、これらの札は日本一低い山という地元の矜持を立て直すために作られた、比較的新しいものなのだ。

6段の階段を登り、登頂した。看板の根元の石積みにも、人の気配が感じられてよかった。

下山道が上り坂だった。

また車で移動した。

油掛大黒天という像に、油をかけた。ここでは縁結びのご利益があるらしい。「おん まかきゃらや そわか」と唱えながら、7回かけた。油は案外落ちたところの直下に滑り落ちてしまうので、大黒様の身体全体にまんべんなくかけるのが難しかった。

日清キャノーラ油や日清ヘルシークリアが供えられていた。

仙台大観音という、高さ100m以上の巨大な観音像。バブル期に造られたものらしい。

胎内に入ると、無限に続くとも思えるような螺旋階段になっていた。108の仏像を見て回った。
疲れた。昨日の16時から起きっぱなしなので、そろそろ24時間起きていることになりそうだった。ついに宿に行く流れになった。イオンで買い出しをした。

宿はものすごく立派なログハウスだった。

広い!

僕たち6人組の旅行とって大事なのは、観光ではなく宿での時間だった。宿で飯を食ったり、酒を飲んだり(飲まない人もいる)、喋りあかして、寝るまでボードゲームに明け暮れるのだ。これを半年に一回やるのだ。高校で同じクラスだった僕たちは、今はみんなバラバラのキャリアを進んでいた。一人は理系大学のM2で来年から海外で博士に進む予定、一人は美大のM2で来年から広告代理店勤務、一人は4浪して医大3年生、一人はとっくに大学卒業してシステムエンジニア、僕は一度大学を中退して今は美大3年生、もう一人は大学を中退して今は何をしているのか教えてくれない秘密主義者だった。
皆、今初めて出会ったら友達にはなれないだろうと思う。みんな今の僕とは、それぞれ人種が全然違うタイプの人なのだ。高校時代に過ごした濃密な時間があったから、このような関係が醸成されたのだ。そう思うと、今まで生きてきた道のりを愛おしく感じられる。

ログハウスにはピザ窯が設置されていたので、ピザ作りが行われた。ピザ作りが得意な二人が、どちらが美味しいピザを作れるかバトルをしていた。

ビールサーバーを持ち込んできた人がいたので、ビールが飲み放題だった。
料理のできない僕は、ファミマに追加の買い出しに行った。

大きな蛾が潰れて死んでいた。尻からこぼれたミンティアみたいなのは、卵か。タイヤか何かに踏まれた衝撃でこぼれ出たみたいだった。卵だけやけに明るい色だ。

おいしいピザ。

うめー。

カルボナーラも作られた。何もしていないのに、次から次へと料理が運ばれてくる。余った食材でちょっとした一品をチャッと作るみたいなことができる人が結構いる。みんなのそういう生活力に感心する。さっきまで熱心に料理を作っていたかと思いきや、ワインをぐっと飲み込んで、煙草を持ってベランダに出て意識を失ったようにチルしてしまう人もいる。自分にはそういう「動き」が無いから、見ていて面白い。6人のうち3人が喫煙者で、誰かが煙草を吸いに外に出ると、他2人もついていっていなくなってしまう。そんな時は取り残された非喫煙者(僕も含む)の3人で、室内で小さな声で会話したりする。このグループだとよく見る光景だった。その時間も好きだった。
僕は複数人があつまる場が苦手なのだが、彼らとなら楽しかった。僕たちの内で共有された何種類ものコミュニケーションのパターンがあって、それらを出し合うのだ。そこではみんなの個性が無駄なく活かされ、通じあった。

僕はピザ窯の火を監視していた。
ボードゲームやトランプの結果、僕はベッドで眠る権利を失った。床に布団を敷いて横になった。僕からベッドで眠る権利を奪った人が、ベッドから「いるか?」と言ってクッションを投げつけてきた。僕は「いらない」と言った。でもそいつはもうこっちを見ていなくて、数秒後には寝息を立てていた。