猪苗代湖畔の熱風
今日は一日中雨が降っていた。
起きた。戸棚にコーヒー豆が入っていたので、みんなでコーヒーを飲んだ。ログハウスのチェックアウト時刻が迫っていたので、無心で後片付け作業をした。我々は車に乗り込んだ。そして南下していった。ここからゆっくり東京に戻る計画だ。
福島県の猪苗代湖のほとりに来た。

雨で湖面がぽつぽつしていた。僕の背後には、貸し切りのサウナ部屋があった。ここでは、サウナ室で身体を温めたあと、水風呂代わりに猪苗代湖に飛び込むことができるのだ。グループの一人が大のサウナ狂(きょう)で、彼が「どうしても行きたい」ということで、このフィンランド式サウナ部屋の利用を奢ってくれた。ここはサウナ愛好者には人気のスポットらしい。
6人でサウナ部屋に閉じ籠った。ロウリュ(熱した石に水をかけて蒸気をつくること)も自由に行えた。室温は、80℃から100℃の間をうろちょろしていた。友達がアウフグース(ロウリュの蒸気をタオルで仰いで、熱波を身体に当てること)をして、熱波を送りつけてきた。皮膚の焼けるような痛みに、ギャーと叫んだ。叫んだせいで、次は大きく息を吸い込まなければいけなくなり、その吸気が肺を焼いた。僕は悶えた。マインドフルネスや瞑想では意識的に呼吸のリズムを整えることが重要視されるが、サウナは一度呼吸を乱すと高温の熱気によって激しく苦しむことになるので、嫌でも呼吸を矯正することになる。これがサウナの良さの一つかもしれない。
熱さに限界を感じたので、サウナ室を出た。僕は猪苗代湖に心臓ごとダイブした。あーっ。僕は湖面で、仰向けに浮かんだ。雨雲が白く鈍い光を放っていた。雨粒が肌を弾いて刺激した。僕は感動した。無数の飛蚊症が視界一杯を覆っていて、妖精に囲まれているような感じがしたのだ。本当に視界一杯だった。飛蚊症と飛蚊症が重なって、せわしなくはしゃいでいる。空が踊っている。血流の急速な変化が、僕の身体に異変を起こしているようだった。
次に外気浴をした。椅子に座って、水平線を見つめた。同じように湖面でぷかぷかする友人たちを見ながら、これはいいなと思った。僕は再びサウナ室へ入った。そして出て、猪苗代湖に入った。これを繰り返した。
サンダルを履いた熱波師の人が、僕たちの方にやって来た。追加のサービスで、専門の熱波師(熱波師って資格とかあるのかな)がアロマを焚きながらアウフグースを行ってくれるようだった。僕はワクワクしながらサウナ室に並んで座った。
「目を閉じてください」と言われたので、目を閉じた。瞑想っぽいBGMが流され、熱波師が「まずはフィンランド。ラップランド地方の香り……」などと言いながら、様々なアロマを焚いてくれた。そして……熱波を様々な角度からうちわで浴びせられた。途中、葉っぱに水をつけたみたいなやつで叩かれた。テレビで観たことあるやつだと思った。
後半になるにつれ、温度が上昇していった。さっき自分たちだけで使っていた時には出せなかった、100℃を超える温度に到達していた。熱風が吹きつけてきた。友達の一人が脱落し「すいません」と言ってサウナ室から飛び出していった。僕もかなり苦しかった。目尻が振動していて、まぶたじゅうに何のでもない残像が広がっていた。呼吸を一つも間違えることができない状況だった。ここからの温度は、140℃に近づいていきます……と熱波師が言った。僕は両手で顔を押さえて耐えた。そして、
「最後に、エジプト、カイロの香り…」
という言葉とともに、信じられない温度の熱風が僕たちを襲った。ここは火事現場なのか? 僕はこの皮膚の感触を、火傷したときにしか味わったことがなかった。だから、まるで火事の中にいるかのように感じた。僕は顔を手で覆ったまま「アアア!」と悲鳴をあげた。友達も「グッ……ヴ……ッ」とぐつぐつした声を漏らしていた。
「終わりです…」と熱波師が言ったので、僕は目を開けて立ち上がり、サウナの扉を叩いた。猪苗代湖に救済を求めて身体をうずめた。耳の裏でドクドクと響いた。身体中が話していて、その声が聞こえるのだ。最高だった。水中で僕は考えた。僕がいままで使っていた、銭湯にちょこっとついてるようなサウナとは全く異なる体験だった。熱いと冷たいを交互にやって、血管を急速に収縮させ、飛ぶ。人類はなんてばかなエンタメを開発してしまったんだ。
仕事を終えた熱波師の人も一緒に湖に浮かんでいて、そりゃそうだよなと思った。僕もアウフグースをさっき自分でやってみたが、あの仰ぐポジションが一番熱いのだ。あとで話を伺うと、今回は最後のエジプトのあたり、安全のため温度を抑えめにしたらしい(僕らが限界そうだったから)。あれよりも高温があったのか。僕はすこし悔しくなった。

湖畔の砂浜には、まきびしが撒かれていた。おそらく防犯のためだった。まきびしって使うことあるんだね。
我々は車に乗り、栃木県の那須に移動した。

二日目の宿がここにあった。というか、二泊する予定だったんだ。それすらあんま把握していなかった。


料理得意な面々のおかげで、また豪勢な食卓が開かれた。パスタにスペアリブ、白ワインビネガーのサラダにウイスキー……笑いが止まらない。僕が「この中で一番最初に誰が死ぬと思う?」と訊くと、全員が僕を指した。
ベランダで美大の友達と、就職して会社勤めをしながら個人の作品制作もするキャリアプランについて話し合った。あと『下女』という映画が面白いということを教えてもらった。

数日前に逆剥けを噛みちぎった部分が、化膿していた。
食事のあとは、『コードネーム』や『ito』といった共感性重視のボードゲームをして盛り上がった。僕がシャワーを浴びて戻ると、みんなは布団を敷き詰めた和室で色鬼をしていた。誰かが色の名前を宣言し、他の人らはその色を見つけて制限時間以内に触るのだ。宣言された色から最も遠い色を触っていた者が、次の鬼になった。雨の日の夜に、色鬼をやっている友達。夏休みみたいだ。
一人ずつ順番に眠りに落ちていった。僕は五番目だった。