「面白い」の超克
起きた。日中。でも、日が沈むまでずっとベッドから起き上がらずにいた。
どうやら、だめな日のようだった。頭の中は、僕が使い物にならない人間であることを”論理的に”証明する思考でいっぱいだった。やるべき作業を思い出しては、気が滅入った。こういうときに身体が動かないのは、僕の脳内にいるトロヤインサイドヘッドたちが、操縦桿を握ることを放棄してしまったからだ。彼らは内ゲバに忙しくて、僕の肉体は二の次にされていた。僕は、やるべきことができない。努力ができない。約束を守れない。才能もセンスもない。人に迷惑をかけている。嫌われている。見下されている。つまらないやつだと思われている。そのような黒い自意識に封鎖された。
とりあえず起き上がる。横より縦だ。

オロナイン軟膏の効能を見た。僕の知らない症状が二つあった。「はたけ」と「しらくも」。日本酒の名前みたいだ。「はたけ」は主に単純性粃糠疹(たんじゅんせいひこうしん)という、小児の肌が粉を吹いたりする皮膚病を指しているらしかった。「しらくも」は主に白癬(はくせん)という、皮膚がカビに侵される感染症をあらわす用語のようだ。僕はメモをした。
『地面師たち』を見終わった。
めちゃくちゃ面白かった。でも、面白さしかなかった。これが、このドラマの(というか、多くのNetflixドラマが抱える)深刻な課題だと僕は思います。最終話はとくに、それによる表現の限界点があらわになっていた。全7話かけて自分は、単に刺激物を並べたタイムラインを流し見していただけだったのではないかと思った。クライマックスに近づくにつれ、どうでもよくなってきたのだ。撃ち合いしようが、刺し合いしようが。主人公がどんな決断を下そうが。巨悪は果たして打ち倒されるのか、生き延びるのか。僕からしたら「好きにしてくれ」だった。面白かったのは本当だ。ドラマとしての面白さは、サンクチュアリ等のNetflix他作品と比べてもひときわ高かった気がする。俳優が良かったし、話の展開も目まぐるしくて隙がなかったし、音楽もいかしてたし、地面師詐欺というテーマもすごくそそられた。ただ、いかんせん面白すぎるだけに、それ以外の余白が全然ないので、あまり真面目に見られなかったのだ。まあそんな温度感で楽しめたなら、いいのかな。綾野剛の話し方や表情が良かったな。
知り合いの方から「お疲れ様です! もしかして忙しいかな?」と連絡が来た。
ああああああああああーーーーー
今日の18時半から、その人とミーティングの予定があった。今は20時すこし前だった。完全に忘れていた。予定は忘れるものなので、僕は用事が決まるたびにiPhoneのリマインダーに日にちを登録し、前日に通知が来るように習慣づけている。しかし今回は、リマインダーに登録すること自体を忘れていたみたいだ。リスケしてもらった。僕は謝罪した。また脳みそに、自己否定の根拠を与えてしまった。僕はベッドに沈み込んだ。こんなやつ(俺)とは、付き合ってられない。

そういえば昨日、以前所属していた映画制作サークルの後輩からLINEが来ていた。映画を撮ったらしい。それを見せてくれた。
モラトリアムと社会へのコミットの狭間で悩み決断する、気持ちのいい等身大映画だった。『花束みたいな恋をする』みたいに固有名詞を多用して文脈をモリモリと使いたおしながら、多くの大学生が直面する「憧れ」と「冷笑」を描いているように見えた。撮影技法にも思想が通っていて、すごいな〜。映画撮るの上手いな、と思った。
寝る前に、僕はLINEで感想を伝えた。すると0.5秒で既読がついた。言いたいことが多かったので長文を小分けにして送っていったのだけど、まだ書いている最中に矢継ぎ早に返信が来るので、チャットが渋滞した。

電話した。めっちゃいろいろ話した。後輩は就活を終了して、無事内定を取っていた。僕は大学二周目で遅れをとっているので、就活に関しては彼の方が先輩だった。助けてくれ〜。
通話を終了した。自分に電話をかけてくれる人がいる幸せを噛み締めた。いつのまにか、7時だ。朝だ。
何もできなかった。
今日は、捨てだ。