夢かなえるリクルートスーツ

2024 - 11 - 07

14時に起きた。Airbnbのアイコンはマッチングアプリにしか見えない。起きてからずっと、さまざまな人と連絡をとっていた。「連絡をとるモード」の変な高揚感に乗っていたので、ストレスは少なくシュバババと返信していくことができた。Google Meetの会議、メール、LINE。どの媒体でも同じテンションで対応していった。だから、メールは普段よりちょっとテンションが高くて変に思われたかもしれない。メールの時だけ真顔になるのが難しくて、びっくりマークを惜しまず使った。

アー。胸騒ぎがする……。さまざまなことが並列で進行している。予定がどんどん増えていく。「予定エンタングルメント」という新しい概念がスケジュール表に現れた。ある日の予定Aが確定すると、別のある日の予定Bが同時に確定する。逆にこの日に予定Cが確定すると、別の日に予定Aが入り、その日のそれ以外の予定はキャンセルされる。一つの日のなかに、複数の相容れない予定が量子状態で重なっているのだ。自分で言っててばかみたいだと思う。

突然の多忙に襲われて、すこしパニックになっている。僕は多忙を自覚した。親友と行くはずだった12月の旅行を、延期させてもらった。整理しなきゃ。

インターンに応募するための履歴書に証明写真が必要だったので、スーツを取り出した。ネクタイは、自分はふざけた紫色のもの1本しか持っていなかったので、父に貸してもらった。父の揃えているネクタイもやたらと派手なやつばかりで、ほとんど候補はなかった。このシルバーのものが一番ましだった。一見まともだけど、近くで見ると無数の細胞群が刻まれている。

父に色々と尋ねて、着用マナーを復習した。ジャケットの一番下のボタンは留めない。シャツの袖は、ジャケットの袖口から少し出す。ベルトはバックルから反時計回りに通していく(これまじ? 今までずっと逆回りにつけてた)。ジャケットの下からネクタイの先がはみ出してしまうのですが、これはどうすれば。結び方の問題か?

スーツを着ると、肩まわりの可動域が極めて狭くなる。腰や脚も、迂闊に回せない。背筋が伸びる。スーツを着ると人がかっこよくなるのは、スーツを着ることで審美的な体勢をとらざるを得なくなるからなのか。僕は襟をつまんで、ビシッとしてみた。全身がビシッとなった。

僕は自室では、椅子の上で体育座りや正座をして作業することがある。でもスーツを着たままそんなことをするとビリッといわしそうなので、まともな座り方(足を地面につける)に矯正せざるを得なかった。しかしそうしていると、ムズムズして暴れたくなる。今もスーツを着てこの日記を書いているけど、厳しい……。

厳しい……というか、スーツ嫌いだ! スーツしね! 塾講師のバイトをすぐ辞めたのも、スーツを着て行動するのが嫌すぎたからというのが一つ大きな理由だった。服飾ジャンルとしてのスーツは好きだし、スーツを身につけた人のシルエットは悪くない。でも自分で着てみると、堪忍してや、と思った。

僕は着替えた。IN スウェット。

幸いゲーム業界の制作部は、ほとんどの会社が私服での通勤となっている。就活の時期だけ、我慢すればいいな。

スーパーの前にある証明写真機で顔写真を撮ってきた。顔の中心線を指定するとき、どこに線を置いても鼻か顎先か目の中間点のどれかが線の上に乗らなかった。自身の顔の左右非対称性を突きつけられた。別にいいけど。髪型は男性の場合おでこを出した方がいいという話をよく聞くが、今日は無視した。600px × 450pxの写真データを手に入れた。

22時。まだ胸がドキドキしている。スケジュール調整と写真撮影をして、他の時間は固まっていただけなのに、身体はくたくただった。今日こそ泳ごうと思っていたプールも、諦めた。今の僕は僕ではなかった。野ウサギのように縮みあがっている。得体の知れない恐怖。が、ある。

胸が痛い。

僕は自分を落ち着けることにした。部屋の片づけをするか。

以前の日記で、散らかった親友の部屋を「ゴミ屋敷」と書いてしまった。でも僕の部屋も、人のことを言えないくらいひどい。彼の部屋はカビや虫などバイオ的なやばさがあったのに対して、僕の部屋はとにかく大量の「物」が散乱している。重要書類、ただのメモ用紙、文房具、イヤホン、文庫本、ケーブル、服、化粧水、ボードゲーム、名刺、そして夥しい数の使用済みティッシュ。

僕は物を使用したあと、その場で手を離して地面に落とし、それをそのままにしてしまう癖(※)がある。だからティッシュも、机や床やベッドなど、使った地点に落ちている(嫌いにならないでください)。たぶん多くの人は物ごとに所定の位置みたいなのがあって、使用後はそこに持っていくのだと思う。僕はそれができないというか、これまでの人生でその習慣づけをできなかったみたいだ。『Unpacking』良いゲームだったなぁ。

※宇宙ステーションで働くスタッフは、持っている物を手から離してもその場に滞空し続けるので、このような癖がついている人が多い。

物をその場に置くのは、一般的にはよくない習慣なんだろうけどさ、データ構造としてはメリットもあるから。まず、収納という行為の手間を省くことができる。それに、物が使用された場所にそのまま残るので、再び利用する際に目的のものを使用したい場所で拾える確率が高い。他にもいろいろと利点があって……あのね、あのね

↑こういう理屈をこねているから、ゴミ屋敷になる。ティッシュは再利用しないから、その場に置いても意味ないだろ。思想はどれも、後づけだった。

昔から片づけが全然できなくて、ずっと親に怒られ続けてきた。でも親がいくら声を張っても、片づけができるようにはならなかった。結果として僕の中では心の防衛のため、散らかった部屋を正当化する理屈ばかりが育っていった。しかし、叱ってくる親に対して自分なりの理屈で言いかえすと、親は「屁理屈をこねるな」と議論をシャットダウンしてしまうのだった。真面目な主張を退けられるのは、ショックだった。親からしたら屁理屈でも、僕からしたら筋の通った理屈だった。「僕の言うことのどこが屁理屈なの?」と訊いても「まだ屁理屈をこねるつもり? いい加減にしなさい」と黙らされた。

「屁理屈」という言葉は「理屈」に否定の接頭辞「屁」をつけたものだ。この語を使えば、どのレベルにおける主張も、その一つ上のレベルから無効化されてしまう。もっとも胸糞の悪い言葉の一つだ。僕はずっと、親に「いや、ティッシュは再利用しないだろ」と同じアイレベルで反論して欲しかった。今や僕は親よりも背が高いのに、いまだに「早よ片づけなさい」と頻繁に怒られている。20年間同じトピックで怒り続ける親も、それはそれですごい。

今日の日記、恥ずかしいことばっか書いてる気がするな……。ガキみてェーなことばかり……。スーツを着たら、こういうことも考えなくなるのかな。

ちなみに、ティッシュをそこらじゅうに放り捨てるのは普通にやめた方がいい。僕が自室で寝た翌朝に咳がひどいのは、たぶんかなりの量の埃が部屋に舞っていて、それを吸い込んでるからだ。丸められたティッシュが散らばっているぶん、僕の部屋は表面積が大きいわけだから、埃が溜まる。あと、最近はもはや、その辺に落ちているティッシュを、再利用するように、なってしまった!! これを許すことによって、魂の格がワンランク下がったような感覚は、拭えない。

いつのまにかどうしようもない者にならないように、僕は片づけを開始した。

この歳になって気づいたのは、ある議論を結論へと導かないままに打ち切って、ちゃっちゃと実際的な行動に移してしまうことは、現代社会をサバイブする上では大切な技能の一つだということだ。部屋が汚い理由を正当化する道理をめぐって脳内討論するよりも、その時間を使って部屋をきれいにしてしまう方が、現状の判断として”適っている”と思う。真の正しさや真の合理とは別に、社会には「”適っている”かどうか」というよくわからん指標がある。熟慮を踏まえた完全無欠の選択よりも、たとえ場当たり的であってもより”適った”選択の方が好まれるケースがたくさんある。

今思えば、親の振りかざす「屁理屈」という言葉は、ある程度の思考はうっちゃって、社会が求めている”適い”の匙加減を今のうちに身につけておきなさいよ、という教えを含んでいたのかもしれない。

父は、たくさんの派手なネクタイを持っていた。ネクタイなんて、人間を”適わせる”矯正具の代表みたいなものなのに。父はその枠組の中で、気ままな自己表現をしているように見えた。

父にはそのような余裕があって、僕にはその余裕がないらしい。

どうすれば。