僕はおそれている
最寄駅前の雑居ビルにあったスナック「〇〇〇(人名)」が先日潰れていて、新しく何ができるんだろうと思っていた。今日そこを通りがかったら、新しいスナック「■■■(人名)」ができていた。僕は不躾にもスナックではない別の施設になると思い込んでいた。スナックという業態は年々数を減らしていくもので、僕はその一場面を目撃しているのだと思っていた。しかし、この雑居ビルにおいては、スナック文化はまだ息づいていた。スナックという業界の内部で代謝が行われただけなのだ。

バスの後部座席下には、運転手が鏡越しに確認するために左右反転された車内よしが貼られていた。
旅行帰りでパンパンにたまっていたメールとかLINEの連絡を一つずつ処理してい……ったが途中で力尽きた。残りは明日やる。
今の気持ちを言葉に表すならウワアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアア!!!!」と叫んだ。一緒にいた人にどうしたのと言われてしまった。
車道は危ない。時速60kmで車が走っている道路では、自分も時速60kmで走らなければならない。それが一番安全だ。もしその場で停止するなら、それは相対的に時速60kmで逆走しているのと同じだ。自分の意志で、アクセルを踏み込まなければ、ハンドルを握ってコントロールしなければ、死ぬ。止まったら死ぬ。
しかし社会も似たようなものだ。仕事や活動関係のメールが9件溜まっている。返さないと死ぬ。自分の手で返信ボタンを押し、文章を練り、送信しなければいけない。社会にコミットするというのは、止まることの許されない潮流に身を投じるということのようだ。今はまだできているけど(この9件も明日返すはず)、こんな構造、いつかどこかの未来で破綻しないわけがないと思う。怖い。
思い込みだ。僕には立ち止まる権利がある。映画を観る。アリ・アスター監督の『ボーはおそれている』を観る。サラダホープを食べて日本酒を飲みながら。僕にはサラダホープを食べて日本酒を飲みながらボーをみる権利がある。あるよな……。
『ボーはおそれている』を観るのは2回目だ。1回目は映画館で観た。当時の感想はあまり覚えていないが、その日以来、ボーのことを思い出すたびに「あれ、名作だったな……」と好きになっていった。観ていないあいだにどんどん好き度が高まっていた。一度しか観ていないのに「好きな映画ランキング」の中で勝手に順位をぐんぐんと上げてきているのだ。そんなこと今までなかった。しかしそんなにいい映画だったっけ? という思いも同時にあった。なにせ僕は1回目の上映中に、20分くらい寝ていたのだ。寝てたのに好きな映画なことある?
今一度確認しなければならない。
観た。今回は寝なかった。
なるほど。すごく面白かった。感動した。と同時に、一度目に寝た理由もわかった。
『ボーはおそれている』は同監督の『ミッドサマー』や『ヘレディタリー/継承』よりもバランス感覚を失っている気がする。前半と後半で毛色が違う。
前半はいわばサービス精神旺盛なホラーコメディをやっていて、ものすごく美しく作られている。本当に面白い。こぼれた水がスマホに近づくこと。隣人がドアの下から滑らせた書き置きメッセージが自分の足元で止まること。自分の家の中が街になってしまうこと。電話をかけ直したら「ご愁傷様」と言われること。僕の共感の延長線上で、異常としか言いようがない最悪の風景が描かれていることに心が震えた。
でも後半はなんか、下品? まず世界の種明かしのようなことが行われたところに意外性をおぼえた。そういうロジカルな回答が用意されていたのか(そのロジックを飛び越した心象世界であったのは確かだけど)。そして、人物がテーマに直結したようなことを喋りまくりだす。最後の裁判のようなシーンも、寓話としては直截すぎるように思った。巨大チンコモンスターの登場も心を置き去りにされる感じがした(アリアスター作品はいつもどこかで急加速して僕を置いていく。それが気持ちいいときも気持ち悪いときもある)。カメラもあまり元気がなくなっている気がする。
後半は総じて、アリアスターの自我が前面に出てきていて、サービス精神が鳴りを潜めているのだ。それゆえに、豊かな細部が少なくなって能動的に見出したくなる余白が減っている。僕の印象としてはそんな感じだった。一度目に劇場で寝たのは、後半がいやに失速してて暗かったからだ。
しかし、二度目の視聴でこのような印象を受けたにもかかわらず、僕の中でボーはミッドサマーやヘレディタリーよりも好きな作品だし、数ある映画の中でも特に好きな作品になった。観やすさは相当失われてるけど、そのアンバランスさすら気になってしまうのだ。なんか、アリアスター監督が急に牙をむいてやりたい放題やるなら、こちらとしては「巨大チンコでもなんでもいいから好きにやってくれ」と思っちゃう。そんな感じ。かな……。鑑賞者に奉仕するだけの映画よりは、鑑賞者を振り回す映画の方が良い。で、ボーを観て、さんざん鑑賞者を振り回すものだと僕は思っていた過去作品の表現が、あれはあれでアリアスターなりのサービス精神でできていたのだと気づかされた。
『ヘレディタリー』もう一度観たくなったな。あまり覚えてないから。