疲労大学
素敵な目覚め。
しかし、やけに身体が疲れていて、とくに何もせず。
晩御飯の生姜焼きが美味しかったので、祖母に「生姜焼きが美味しかった」と言った。祖母はありがとうと言った。「トロヤはたまにそういうこと言ってくれるから、本気で怒れないわ」と言った。僕は「怒らないでほしい。怒られると、疲れる」と言った。祖母は「怒るほうも疲れるのよ」と言った。じゃあ怒らなければいいじゃん、は前にも言ったことがあった。代わりに僕は「おばあちゃんはストイックすぎる」と言った。祖母は「そうなの。私自分でもわかってなかったんだけどね、この前中学の同級生と高校の同級生それぞれに、同窓会で『〇〇ちゃん(祖母の名前)っていつも先生みたいだったわよねー』って言われたの。全然別の関係の二人の子によ?」僕は「僕もそう思う」と言った。
「おばあちゃんはひじょうに頭の回転が速いというか、細かいことによく気がついてちょっとした配慮ができるし、すぐに反応できるよね。僕が生活で何か困ったことを言ったとき、よく段ボールや空き箱を使って、解決になるようなアイテムをすぐに作っちゃうよね。その手際の良さとか、創意工夫の力は才能だと思う」「そうなの! 私、生まれ持った才能があるのよ」「自覚はあるんでしょ? だったら、周りの人がおばあちゃんほど気が利くわけじゃないこともわかるでしょ」「昔っから、なんでみんなこんなに折りたたみ傘を畳むのが遅いんだろうって呆れてたの。遅いくせに、私よりも畳み方が汚いのよ?」「みんなそんなもんなんだよ。おばあちゃんは自分ができるから、周りもできて当たり前って思ってるんじゃないの? それを僕にも適用してるんじゃない?」
と指摘すると、祖母は「あぁ……そうね……」と言った。「なので、僕はあなたほどテキパキ考えて動くことができないので、これは仕方のないことなので、僕を怒らないでください」と言うと、「だから怒れないって言ってるじゃない!」と怒られた。
怒られると疲れる。
疲れ。
筋トレしても疲れる。昨晩おこなったスクワットが効いていて、とても脚がだるい。しびれる感覚。でもこの前の筋肉痛よりは幾分か程度がましになっていた。継続の甲斐を感じる。
何もしなくても、疲れる。今日から布団が自分の部屋にないので、基本的に椅子に座るしかない。机に向かっていると、トホホ……という疲労感が広がる。上体を机にあずけてしまう。これはだめなやつだ。仙骨座りと同じで、体幹が足りていないせいで、下半身だけで身体を支えられないのだ。頭を机にうずめてしまう。僕は息を吐く。呼吸とともに筋肉が溶けてこぼれていく。
疲れている。
何もしていないのに。
何もしていないのに疲れるから、何もできない。
なんでこんなに疲れてる。
慈恵医大のウイルス学特任教授・近藤一博監修の漫画『疲労ちゃんとストレスさん』によれば(今日読んだ)、疲労には「生理的疲労」と「病的疲労」の2種類がある。
生理的疲労は、タンパク質合成因子がリン酸化し「疲労因子」に変化することによって引き起こされる。疲労因子は炎症性サイトカインという物質を作り、それは脳に伝わり「疲労感」という感覚を呼び起こす。それと同時に、タンパク質合成因子が疲労因子に変わってしまっただけタンパク質合成の機能も落ちるため、臓器が機能障害を起こし、食欲低下といった「体の疲れ」を引き起こす。このように、「疲労感」という脳の感覚と、「体の疲れ」という身体の機能不全のセットが生理的疲労の正体である。
コーヒーやドリンク剤を飲むことが疲れの根本的解決にならないのは、これらはあくまで炎症性サイトカインのはたらきを抑制する機能しか持たないからだ。脳の「疲労感」は解消されるが、タンパク質合成因子の不足は相変わらずなので「体の疲れ」は蓄積するままだ。
根本的にこの疲れを回復するには、リン酸化した疲労因子をタンパク質合成因子に戻す機能を持つ「脱リン酸化酵素」を活性化させる必要がある。現在判明しているその方法とは……睡眠を摂ること、そして軽い運動をすることらしい。な、なんて普通。このあたりは目下研究中らしい。疲労のしくみはまだ研究が若く、いまだよくわかっていないことが多いんだって。
で、疲れには生理的疲労ともう一つ……「病的疲労」というものがある。これはまったく別種の疲れで、「脳が勝手に疲労感を感じてしまうバグ」に陥っている状態を指す。身体に異常はなくても、疲れているという気持ちに取り憑かれてしまう。疲労因子や炎症性サイトカインは関与していないので、こちらの疲れは生理的疲労とは違い、睡眠によって容易に解消しない。こちらは脳神経系の病気であり、その主な原因は……ずばり「うつ病」だ。そんな気はしてたよ!
というわけで、何もしていないのに肩にのしかかってくるこの疲労感の正体は、つまるところ鬱だった。だから、疲れを取り去る方法も今までどおり、地道だ。抗うつ薬を飲んで、日光を浴びて、余計なストレスを避けて、たくさん寝て、軽く運動して……あとは回復を待つだけ。
天命を待つだけ。
『疲労ちゃんとストレスさん』は面白かった。これといった救いのない、堅実な漫画だった。普通に勉強になった。生理的疲労と病的疲労は、患者の唾液中のヘルペスウイルスの量を測定することで鑑別できることが、近藤教授の研究チームによって明らかにされている。もし将来この鑑別方法が普及したら、自らが鬱病に罹っていることに気づかず「どうしても疲れがとれない」という主訴で内科にかかる人々———多くが内科的な診断により「ビタミン剤を処方しつつ経過観察」とされ、なかなか回復に至ることのできない人々———を、これまでよりスムーズに精神科へと案内できるようになるかもしれない。それはとてもいいことです。
今思ったけど、僕が今日一日中感じていたこの疲労感が「病的疲労」によるものなら、脳が虚偽の疲れを訴えているだけで、身体は意外とピンピンしているかもしれないってことだよね。じゃあ無理やり身体を動かして作業を始めてしまえば、案外動けるかもしれない。もし次、原因不明の疲れに襲われたら、無視してみよう。疲れは無視。そういうテクニックが、ありかもしれません。
あと今日は『苺ましまろ』9巻も買って読んだ。『アル中病棟』も買った。これは半分くらい読んだ。『メイドインアビス』の持ってなかったぶんも買った。まだ読んでない。散歩がてら書店に行ったので、漫画デーになった。
当たり前だけど、ぜんぶ違う漫画だった。『疲労ちゃんとストレスさん』も『苺ましまろ』も『アル中病棟』も『メイドインアビス』も、ぜんぶ違う。違いすぎて助かる。みんな違くてありがとう。
今日は疲れて、何もできなかった。
明日は大学の講評会だった。今まで講評前日は、ぜんぜん完成しないよ〜と涙目になりながら夜通し作業するのが常だった。珍しく今日は、悠長に漫画を読み漁っている。あまりの疲労感に、作業する気がまったく起きなかったのだ。なんか、どうでもよくなっちゃった。最近は、自分の心身を労わることを意識している。『D_ELL』の目標はitchで配信することであって、講評会までに無理に完成させる必要はないと気づいた。するとなんだか、力が抜けてしまった。
明日の講評が、3年生最後の作品発表だ。みんなの前で作品を見せ、教授や講師陣にあれこれと言われる。楽しみ。1年生の頃は、講評に対してそれなりの恐れを抱いていた。でも今は平気だ。今の僕は、作りたいものを作っているだけだからだ。たとえマイナスなフィードバックを受けとっても、それを無視することができる。これは美大で健全に学ぶためには不可欠なマインドだ。教授陣の批評コメントは、話半分に聞く程度でいい。彼らは、作品に対しなるべく多くの切り口から揺さぶりをかけ、制作者に何かしら成長の手がかりとなる刺激を与えることを目的としている。僕たちに、ある特定の方向への洗練を期待しているわけではない。作品あるいは作家としての方向性は、学生自身が決めるものだ。だから講評で教授陣から受けるフィードバックは、自分の目指す方向性へ伸びていくために役立ちそうなものだけ真に受けて、残りのミスマッチなものはすべて無視すればいいのだ。
講評は、長丁場が予想された。前回の講評会は、7時間くらいかかった。生理的疲労を催しそうだった。睡眠によって、脱リン酸化酵素の活性化を促し、疲労因子を分解する。
1に睡眠
2に睡眠
昨日から睡眠導入に、知らない実況者の金ネジキ挑戦実況を流している。たまには怪談朗読でなく、金ネジキでエントリー。
明日は9時10分に起きようかな。