voidへ

轢くんかいの、撥ねるんかいの?
まだ大学のレポート書いてないけれど、先に『ユメギド』の開発をする。レポートに思わぬ時間がかかってしまい「スケジュールはまた明日にするか〜」とため息をつく未来が見えたからだ。優先的に、開発スケジュールを今日、今日なりに立てる。僕は新規のGoogleスプレッドシートを作成した。

大丈夫だった。昨日恐れていたほど、スプレッドシートは怖くなかった。「自分はスプレッドシート恐怖症だ」というのは考えすぎだった。

1月18日には、プロジェクト終了することを目指す。となると、Steamのストアを早めに作らないといけないな。itchも。itchは審査無いからいいけど、Steamはゲーム完成後も審査がかかる。審査が落ちたら長引く。リリース日とかは、審査が終わってから発表する感じで。
どの日に何のタスクを置くかを決める前に、まず何のタスクがあるかがわからないといけなかった。「やることリスト」を書いてみた。やることがたくさんあることに気づいた。あと、これは最初から分かっていたことだけど、ゲームの中身がそんなに決まっていないから、タスクも「ゲームの中身を決める」みたいに大きさを見積もりようがない項目だらけである。

「アイデアをとにかく出しまくる」という、無責任なタスク。ある日のまとまった時間に作品に必要なアイデアを出しきるとか、俺はそんな都合のいい装置ではない。意味不明だ。このタスク。
ユメギドの開発に関係ない生活の用事も併せて記載していくと、結構余白がなくなってきて、動悸がしてきた。「歯医者」と書いてあるセルを見ると、この日はもう他に何もできないような気がしてしまう。歯医者にかかるのに使う時間はたかだか2時間程度なのに、「歯医者」と書かれているだけで、僕にとってこの日は「歯医者の日」になってしまうのだった。今、頭がジュクジュクしてきている。繊維が焼けるときの煙。き、きびしいす。少し落ち着きの時間を貰う。キーボードから手を放し目を瞑っていいか?
10分何もしなかった。

今日の予定だけとりあえず決めた。「アイデアを出しまくる(ただし、今日出すアイデアがすべてである必要はない)」と、「ゲームの構成をまとめる(ただし、構成は今後何度も編成し直す)」のふたつ。で、これらをやるより先に、レポートを書こうかな。今はもう一刻も早くスプレッドシートを閉じたい閉じた。タブとして存在するのを見るだけでもパニックを起こしそうだった。
わかってきた。自分がどのようにして精神を病むのかが。去年よりもきめ細かく、心に暗闇が兆すのを察知できるようになり、その原因を見つめることができた。そして、意識的に立ち止まることもできた。やっぱりスプレッドシートは、危険。未来の自分に何かを割り当てようとすると、僕は想像が追いつかなくなる。割り当てるためには、ゲームを作ることを「タスク」という不定形の概念に切り分けて整理する必要がある。しかし僕の場合、整理しようとするとき、整理するために明らかにしなければならない前提が整理できていないことに気づいて、そこでこんがらがってしまう。スプレッドシート上でおこなわれている「整理」と、頭の中でおこなっている「整理の前提の整理」が同時に起こり、分裂する。このあたりから、考えることの照準がREM(高速眼球運動)のようにふるえて、もはやプロジェクトどころではなくなっている。頭が沸騰するようなイライラと、抑鬱方向への心の傾きを感じる。細胞が疲弊し、知覚過敏になって、環境音や明かりが攻撃的になってきているように感じたり、過去の嫌な思い出がフラッシュバックしたり、自分の今いる場所とそれを取り巻く状況が、わからなくおぼつかなく戸惑う。
この動きを、
むりやり押してもありぐごぱあrp
ま¥あ
推して参るとアウトなのだ。結論にたどり着こうとするのは難しいので、とりあえず避難。避難先。日記。テキスト。今書いている文字。文字キーボーdがあるだけg@おあjwrがいおえおぱgj7でもいいよ。
うまくたえしのいだ。今日スプレッドシートを閉じたのは、とてもいい判断だったと自分で思う。自陣のディフェンスに精一杯で、プロジェクトは全然進んでないけど。無理やり進めることは、はなから無理なのだ。僕には、できないことが、たくさん、あります! そんな自分が好きです! 好きっていうしかねえェ~~~~~~~からさ!!!!! 好きです。好きです。トロヤさん、好きです。自分を尊敬しています。目が曇る前にスプレッドシートを閉じるという、去年できなかったことができた自分を尊敬します。びっくりマークには飽きてきたな。でもこのレベルには戻ってきた。お米炊けた音がしたから、ご飯食べてくるね。ご飯を食べる権利がある。
「まじで自分を愛するしかないんだよな」と叫んだら、パートナーが「Love yourself.」と言った。僕はほんまそれと思った。
飯食った。では、レポート、2000字、書きます。ね!
書いた。書いたら深夜2時になっていた。寝るしかないわ。アイデア出し? 構成? わりィーけど、寝ることのほうが大事だからね。明日の日光を浴びるためには、寝るしかないんだな。誰が妨げようと、俺は寝る。
Love yourselfに至る訓練を、今週はしていた。平日が5日あっただけ、儲けものというものだ(ふだん、平日は2,3日しかない。知らないけど、日が無いことがよくある。知らないとしか言えない)。散歩とかできたし、筋トレも毎日やったし、五つある2000字レポートのうちの一つもできたし……ゲーム開発は……牛歩もいいところだけど、毎日机には座ったから……。
眠れないね。
僕の睡眠を妨げるのも、また僕だった。僕は永久にしゃべり続ける。パートナーの家では、しゃべり続けている。今ではわかるが、これも僕のLove yourselfが未達成だからだ。僕は寝る方法がよくわからない。寝るぞってなれない。僕はつねに欠乏を感じている。欠乏があるかぎり、それを埋め合わせるまで眠ることを選べない。パートナーに話しかけ続けることで、何かを言ってもらおうとしている。欠乏を満たす何かを、言わそうとしている。満たされてはじめて、眠りを受け入れることができると思っているらしい。だから、それを言ってもらうまで、俺はしゃべり続ける。しかしいつの日も、言ってもらえることはない。満たされることはない。僕の欠乏を満たす「それ」などないので。欠乏は、他人由来の成分で補えるものではない。僕は僕自身で満たされないといけない。パートナーは、いつも先に寝てしまう。僕は話し相手を失う。欠乏はあり続ける。僕は正解に辿り着かねえまま、意識が音を上げるまではもぞもぞ日記を書いたりして起き続け、やがて物質的に寝る。
欠乏
欠乏はおそらく僕のLove yourselfの未達成部分のことだ。言葉で頓服的に補うことのできるような、容易なキズではない。スマホフィルムにまぎれこんだ気泡みたいに、考えなしに押したところで消えることはない。気泡は消えるものではない。少しずつ押し動かして、大気に明け渡すものだ。時間をかけて、かつ分裂などしないよう丹念に位置をとらえながら、自分の外側まで運ぶのだ。
欠乏の位置をとらえるのは難しい。無は情報を持たないから、欠乏そのものの座標はわからない。頻繁に自分自身の精神状況を見張るしかない。欠乏それ自体を言語化することはできない。それでも、言語化を諦めてはいけない。周辺を言語化するのだ。有るものをたくさん数えて、無の輪郭をとらえる。慎重に、習慣的に、淡々と、動かしてゆく。焦るとふりだしに戻る。思考のフレームワークを無理に変えようとしても、欠乏は分裂して逃げ回ってしまう。問題はややこしくなってしまう。具体的には、僕はしゃべりが行きすぎて人を傷つけてしまう。また、依存性のものに頼ったり、衝動的な自爆行動でわざと自分の思考を撒いたりする。気泡を指と指の間に閉じ込めて、見えないふりをするようなものだ。あるいは、自閉的になって先送りする。鬱は認知を鈍らせるある種の効能があるため、欠乏感にも鈍感になることができる。Love yourselfからは程遠い道だけど。
欠乏。慢性的にある、満たされていない感。生きていてもしょうがない感。気だるい感。何かをしないといけない感。探し求めるゾンビ。
とはいえ、やるべきことは大体わかっている。
可能な限り陽を浴びて、薬を飲んで、運動で身体を鍛えながらも疲れさせて、習慣的に活動をして、適度に人と話して、寝る……このセットを続けることだ。本当にそれだけやっていれば、上向きにはなるはずだ。欠乏を僕のなかから追い出すまで、いったい何カ年計画になるのかは分からないけれど(もしかしたら死ぬまでの付き合いかもしれない)、しばらくは、この安定的なセットを継続することにまさる方法はないと思う。やるべきことはわかっているのだ。
しかしそれが難しいので、困ってしまいます。続けることって一番偉いことなだけあって、難しい。パートナーといると、健全な生活セットを逸脱してしゃべり続けてしまう。夜中に出かけたくなる。路上で寝転びたくなる。新しい人と会って、安易な刺激を得て、何か面白いことを知った気になりたくなる。酒やら性やらオンラインゲームやら、地道な継続を妨げるものが溢れんばかりだ。
僕はもとより好奇心が旺盛な性格だ。かつ飽き性で、変な行動力と根気がある。また、自分を大切にする意識が低い(怪我とか、不潔とか、蕩尽などに躊躇いを感じにくい)ので、破滅するのが得意なのだ。ふりだしに戻ることが得意なのだ。こういう性質が長所として働いてくれればいいけれど、今のところ自己実現に必要な継続の妨げになっちまってる。
同じことを淡々とやり続けることが、いかに尊いことか。僕はそれができる皆さんの前に、跪きたい。靴を舐める。靴を舐めるのも、どうせ飽きてしまうけど。この前パートナーにお願いして眼球を舐めてみてもらったけど、もうやらなくていい。
夢を叶えるどころではない。入眠して夢を見ることにすら、欠乏がつきまとって邪魔してくる。世界や他人に目を向ける前に、自分の欠乏と向き合う必要があった。Love yourselfを自分一人でできない者は、健全な活動もできず、健全に人と付き合うこともできない。(諸説あるだろうが)作品も面白くない。どこかしら空疎で、ナイーブが目立つ。
(俺の)噂によれば、Love yourselfを達成したみなさまは、その次にはLose yourselfというさらなる境地があるらしいので、挑戦してみてはいかが……。Lose yourselfはお前のことだろという人もいるかもしれないけど、僕の言ったLose yourselfはエミネムのそれであって、いわば「無我」「忘我」だ。僕のLose yourselfはそうではなくて、みっともない、はしたない、自制心のまるでない、物質に執着した、精神性のかけらもない、下品な、「我我我我我我!」って感じ。昨日の赤ちゃんの方がよっぽど静かだった。僕は『素粒子』の兄弟のうちブリュノの方であって、『カラマーゾフの兄弟』ならドミートリーであって、『魔笛』ならパパゲーノの方なのだ。となりに光の階段を登る者がいたならば、僕はその脇の暗がりで風俗に溺れている垢舐め妖怪だ。僕はしばらくは初級クラスでがんばっている感じなので、みなさんはどうか、前へ。僕がいても足を引っ張るだけなので。引っ張るか、舐める。見捨てて。
見捨てないで。殺してくれ。
殺してくれ。
殺してくれ。
殺してくれ。
よし
諦めない。
諦めてまた振り出しに戻るのは、効率が悪いから。一歩ずつ。前に進んでゆく方針。
習慣、リズム、休息、ある程度の諦め。
毎日同じことやる。
ことやる。
チャノキの葉を摘むように
僕は自分が好きです。僕は、他人をおいそれと分かることはできないことを知っています。自分の苦しみを、人に説明できないことを知っています。もし苦しんでいる人がいたら、その人の苦しみを自分が理解できないことに胸を痛め、そのわからなさに敬意を払うことができます。このようなおおらかさの布で地球を包む必要がきたら、僕は力になれます。
まもなく眠れる