男子、刹那

2024 - 12 - 21

しっかり不安定なので、今日は休むことにした。土日は、自分にあまり多くを課さないことにしようかな。今にそんなこと言ってられなくなるだろうか。

天竜川ナコンは僕が見るYouTuberの中ではひときわ「Love yourself」が形成途上であるように見える。YouTubeらしい企画をしながら、自分がやっている企画の無意味さに打ちのめされている。この卑屈さ、自分に言い聞かせながら生きている感じに、勝手に親近感を持っている。だからこそそれでも活動を続ける彼を尊敬している。でもたまに見ていて不安になったり恥ずかしくなったりもする。そういうのもひっくるめて、ファン。ファン……。不安。俺も生きなきゃ。

散歩して、OTENTO。眩しい方向へ進んだ。セロトニンはそこにある。

諸星大二郎の短編『感情のある風景』を読んだ。感情が頭から取り出され、図形となって自分の周りにあらわれる、という話だった。三輪健太朗がこれについて論じた「マンガにおける絵と言葉———諸星大二郎『感情のある風景』論」という論文をパートナーが紹介してくれて、それも読んだらめっちゃ面白かった。

手塚治虫はマンガの記号的表現を突き詰め、絵を限りなく言葉に近いものとして扱った。一方大友克洋はキャラ絵と背景の描線に一切の違いがなく、絵を限りなく写真に近いものとして扱い、手塚的記号表現の対極をなした。

諸星大二郎は、そのどちらにも似ないマンガを描き、新しいメディア批評性を提示した。諸星作品は、手塚のように「この絵はこの意味を表す」と言った記号のモードを利用はしなかった。しかし大友のように写実に振り切り「絵から意味を完全に剥奪する」ということもしなかった。諸星は「絵に意味を対応づけながらも、その対応づけをモード化せず、複層的な意味の解釈を可能にしておく」という手法で「手塚(記号) – 大友(写実)」の二極間のグラデーションだけでは表せない、新たなマンガ表現の次元を開発したのだ。

という内容だった。たぶん。

めっちゃ面白い……! 日本マンガ表現が更新される瞬間のダイナミズムを感じた。表象文化の歴史ってこのように積み上がっていくんだな~と思いながら、僕は家を出た。

新宿。

友達のデに誘われて、ご飯を食べた。僕は、しばらくは酒を飲まないことに決めていた。アルコールは、生活のノイズになりかねないと思って。今日は一日、ソフトドリンクで通した。

デは最近何を考えているか訊いてみたら、天気のことばかり考えてると言われた。「雨は最悪。雨が降ってるだけでブチギレる」と言っていた。思ってたよりも天気のことを本当に考えていた。

デは今年の二大ニュースを教えてくれた。一つは、彼が来年から海外勤務になることだった。大変だ。もう一つは、彼の痔が深刻化していて、すでに手術を一度受けたがもう一度受けなければならないらしいことだった。彼はスマホを出し、臀部の断面図を見せながら僕に説明した。尻の内部に大きな塊があり、「痔ろう」と書かれていた。「ろう」はきっとものすごくおぞましい漢字なのだろうと思った。

そのあと、デは「これは本邦初公開の情報なんだが」と言った。(日記に掲載する許可はもらった)

自分は女装が好きだ、と言われた。全然知らなくてびびった。僕と知り合ったころからずっと、誰にも明かさず家で女装を楽しんでいたらしい。秘密ってあるものだな。彼のセクシュアリティの内容はどうなっているのか尋ねてみたけど、込みいっていてよくわからなかった。大まかな傾向としては、女装した男性のことを(性的に? 恋愛的に? 不明)好きになることが多いようだ。

新宿二丁目にデの行きつけの女装男子専門クラブがあるようだ。彼も女装をして、その店で同じく女装した男性と仲良く話したり、SNSで繋がったりなどしていたらしい。

せっかくだから、今宵の二次会は二丁目に繰り出そうぜという流れになり、店を出た我々は新宿二丁目に移動した。思えば、デが今日の食事の場所を新宿に指定したのは、ここに来るためだったのか。

クラブが盛り上がるにはまだ時間が早かったので、立ち飲み屋やグッズショップで時間を潰した。陽が沈み、だんだん外の通りに人が増え始めた。ビキニ一丁の褐色のマッチョも、交差点に出現した。マッチョは両手をお花みたいにして、そこに自分の頭を乗せた。かわいい。二丁目らしい感じの賑わいが街区を包んでいた。サンフランシスコで行ったカストロ地区よりも、活気があった。あ、それは今日土曜だからか。

僕とデは、デ行きつけの女装男子クラブに入った。クラブって、初めてだ。空間音響に興味があって近々行きたいとは思っていた。まさか、女装男子クラブになるとは。

チャージ料を払って、グレープフルーツジュースをもらい、空いていたソファに座った。

……。

やることがなかった。周りにはスカート丈の際どいのサンタさんコスチュームに身を包んだ女装男子たちがウロウロしたり、楽しくおしゃべりをしていた。向かいのソファの人たちは太腿を触りあったりしている。気まずい。

「せっかくだしデの行きつけのお店で二次会するかー」という軽いノリで来てしまったが、ここは「女装男子」と「女装男子好き」が集まる場だった。僕はどちらでもなかったため、場違いな存在だった。排他的ではない方の店だったので、別にいることは許されていた。しかしいかんせん、本当にすることがなかった。もじもじ。あくまで女装男子がメインの店なので、女装していない者は、自分から声をかけにいかない限り何も始まらないのだ。視界の奥では、ラフな格好をした男性と女装男子が、楽しそうに目を合わせながら話していた。あれをやるのが、この場の正解なのだ。でも僕がここにいる誰かに、声をかけてどうする? 楽しく雑談? お友達に? SNSを交換? 無理だった。そんなコミュニケーション能力はないし、知らない人と話したくなかった。デの方はすっかり酔っ払っていて、歩き回る女装男子を見て「かわええなあ」と一人で勝手にぽかぽかしていた。でもデが楽しんでいてくれているならよかった。僕は方はまあ、誰と話すでもなく、場の雰囲気を眺めていることにするっす……と思い、スマホを取り出した。しかしデに、クラブでスマホいじって誰とも話さないのは「スマホ地蔵」と呼ばれる典型行為だよと言われた。くっ。

デが煙草を吸いに店を出た。ママがこっちにやってきた。「歌います?」とデンモクを差し出してきた。スマホ地蔵に堕したくなかった僕は、デンモクを受け取り『セーラー服を脱がさないで』を入れた。歌った。場が盛り上がり、みんなが拍手してくれた。そしてママに「(秋元康の歌詞って)きもすぎよね」と言われた。そのあとは、デとだらだらとした会話を続けた。途中で、デが先月振った人がたまたま入店してきた。デは慌ててメガネを外し、気づかれないようにした。

陽気なおじさんがテキーラショットを、店内にいる全員分注文した。光り輝くオブジェ(大量のショットグラスが格納されている)が運ばれてきた。僕にもショットを差し出されたけど、断った。禁酒中の者が来るべき場所じゃないかもしれない。

終電に間に合う形で、僕とデは店を出た。デは酔っ払っていて危なかったので、フードを掴んで歩いた。そして駅でバイバイを言った。彼は来年から数年は海外なので、しばらく会えなくなる。頑張れ~。頑張れ~と言った。

帰宅。不思議な夜だったな。

女装男子クラブに行ってわかったこと。

まず、今日行ったクラブは、僕の期待していたようなクラブではなかった。スナックに近かった。定義を知らないけど、カラオケが行われていただけで、DJなどいなかった。JDはたくさんいたけど。

あと、この手のお店は、目的意識の無いまま行くと、本当に何も起こらずに終わってしまうということだ。女装男子と仲良くなろうとか、人と楽しくおしゃべりしようとか、今晩やる相手を見つけようみたいな狙いが一つもなかった僕は、場にミスマッチな存在だった。冷やかしのような立場でも楽しめる人はいると思うけど、僕には厳しかった。つらい時間だった。デが本当に楽しんでくれていたことだけが救いだった。

でも今日は、自分一人では決して扉を開けようと思わなかったであろう世界に入れて良かった。次はDJのいるクラブに行ってみよう。で、一人で行くと絶対に孤立して悲しい思いをするので、誰かと一緒に、一緒に端でボソボソしてくれる人と行こう。

今日は終わりです。マンガの表象文化といえばセカイ系の元祖とも言われる『最終兵器彼女』がいま全話無料だから読みたいけど、もう午前4時。明日忙しい。

つまりおやすみ。

先日10の質問に答えたら、逆に僕もパートナーに何かしら質問をしてみたくなってきた。中学時代にLINEのタイムラインで流行っていた、質問をリレーしていくやつ思い出して。僕はオリジナルの質問をつくってみた。彼に送ったら、答えてくれた。以下はそれ。こういうの公開日記に書くの惚気の誹りを免れない気がするけど、今晩は許してください。今日はずいぶん刹那的な一日を過ごしたので、そのアディショナルタイムで。

ライフとワークそれぞれにどのような期待を持っていますか?

期待が抱かれるのはふつう、自分がほとんど関与できないもの(他人や映画の続編など)に対してではないかと思います。自分のライフも自分のワークももっぱら自分が築いてゆくものなので、それらに期待を抱くということがいまいちピンと来ていません。

あなたが理解できないことは何ですか? あなたはそれを理解することはできますか?

私は歴史が好きなのですが、その理由のひとつは、過去に目を向けると理解しがたいことがたくさん見つかる点にあります。たとえば慶応3(1867)年の名古屋で、群衆が「ええじゃないか」を連呼しながら踊り狂うという現象が起こり、各地へ普及しました。なぜこんなことが起こったのか、いまの私には理解できません。大橋俊雄『踊念仏』(ちくま学芸文庫)という本を最近買ったので、これを読めば理解できるようになるかもしれません。

何に危険を感じますか?

静電気を発生させそうなもの。

動物について、どのように考えていますか?

哲学者マルティン・ハイデガーは、動物は世界が貧しい(weltarm)と言いました。対して、人間は世界形成的(weltbildend)で、石は無世界的(weltlos)なのだそうです。私は、人間が形成するのとは異なる世界を動物たちがかたちづくっているという考えにおいてハイデガーに賛同し、動物たちの世界は貧しいというハイデガーの判断には必ずしも同意しません。動物たちがかたちづくる世界がどんなものなのか、私はとても知りたく思っています。

尻は一人につきひとつですか? ふたつですか?

ひとりにつきひとつです。

あなたのスペック(身体、心)について、他者と比べてどのような特徴があると思いますか? それは生まれつきインストールされた性質ですか?

私の身体は、平均よりも大きいです。それが「生まれつきインストールされた性質」かと問われれば、部分的に(遺伝などに関して)Yesであり、部分的に(食生活などに関して)Noです。
世の中には感情が激しやすい人がいますが、私はそうではないと思います。私の心が比較的穏やかなのだとして、それが生まれつきかと問われれば、私にもわかりませんけど、やはり部分的にYesで部分的にNoという答えになると思います。

いま自分に何かひとつ質問をするなら、何を質問しますか?

「新しい炊飯器が欲しい」というあなたの気持ちの本気度はどの程度ですか?

あなたにとって、ユーモアでもって対処しないことには耐えられないものは何ですか?

理不尽なクレーム。

映画や小説にセックスシーンが多いのはなぜですか?

人間たちが頻繁にセックスをしているからだと思います。『地面師たち』のセックスシーンは、「これほど俗な人間たちのこれほど俗なライフにはこういうかたちでセックスが組み込まれていてもおかしくないよな」という納得感がちゃんとあって良かったです。

もっとも素晴らしい作品があるとしたら、それは何をテーマにしていると思いますか?

人間。