評論に至る病

サンタクロースは、逃げないように繋がれていた。今年のクリスマスはだめかもしれません……。
今日はなんか移動してたら一日が終わってしまった。無念。でも筋トレは欠かさなかった。
アニメを見たな。『村井の恋』最終話。すばらしかった。本当によかった。AviUtlで作ってるんじゃないのと思うくらい紙芝居的な映像が、物語を語る表現手段として抜群な威力を発揮していた。
パートナーがお尻の数について「ひとりにつきひとつです。」と断言した理由は「穴がひとつだから」とのことだった。なるほど納得感があった。「じゃあ、尻たぶは何個? ふたつかな?」と訊いたら「尻たぶって何?」と言われた。僕は彼に尻たぶという言葉を教えた。
しり‐たぶ【尻×臀】 の解説
「しりこぶた」に同じ。
デジタル大辞泉(小学館)
しりこぶたって何。それは僕も知らねえ。
しり‐こぶた【尻×臀】 の解説
尻の左右に分かれた肉付きの豊かな部分。しりこぶら。しりたぶら。
デジタル大辞泉(小学館)
これです。尻たぶは「尻の左右に分かれた肉付きの豊かな部分」のことだ。肉付きの豊かな部分。お尻のほっぺた。よく聞く印象があった(ケツたぶって言う人もいたし)ので日常語だと思っていたけれど、僕がたまたま出くわしてただけでそんなにポピュラーな言葉ではないのかな。「耳朶(みみたぶ)」と「尻臀(しりたぶ)」。同じ「たぶ」でも漢字は異なっていた。どちらも肉付きの豊かな部分なのに。
こんにちは! エピソードトークが、嫌いやねん。
「こないだ、こんなことあってさ」から始まって、会話文などを交えながら「ここまではまあまあ、そういうこともあるかなって感じじゃん?」とか言って共感を誘い、そのあと何か衝撃的な出来事があって、「いや俺、それ聞いて『は!?』(『は!?』という表情をする)って思ってさ」などと言い、だんだん話が勢いづいていき、「で、その時わかったんだけど、そいつ……」みたいに一瞬ためて、オチを言う。
こういうの、ある、よな。「エピソードトーク」という語が世間的にどのように認知されているのかわからないけれど。必ずしも笑えるオチに持っていく必要はないのかな? 「すべらない話」のせいか、エピソードトークといえばずばりなオチをつけて笑わせるという様式が定着している印象がある。松本人志が流行らせた、悪しきコード。
僕は人のエピソードトークを聞くのが苦手だ。殺したくなっちゃう。「ただいまより、爆笑のオチに向かう旅へ―――」と長い道のりに無理やり同伴させられるようで、ストレスを感じる。「そういえば、こないだ面白いことあってさ」などと言われると、来る、と身構える。そいつのエピソード空間が展開され、僕は「聞き手」のロールを付与される。
聞き手は流れに応じて、僕は適切な相槌を打たないといけない。「うん」「うんうん」「あーはいはいはい」「(うんは言いすぎたので)ほん」「えっ?」「まじで?」「あーうんまあまあまあ。慣れてない人だったらね」「だいたいその三つだよね」「うそ、そんなことある?笑」「知らね~用語笑」「『ソリ』だけにね笑」「アハハハハ!!!!!!」「アー(裏声)!」「ギャハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!エホッ、ゲッホ!!!!!
相手のペースどおりに話を理解しないといけない。展開を先読みしてはいけないし、途中で引っかかった別の面白そうなことを指摘して、本筋から逸れてもいけない。笑いどころを見誤ってもいけない。頭がフル回転させられる。こんな疲れる共同作業に、なぜ付き合わないといけない。僕の笑いどころは僕に決めさせてほしい。あと聞いているあいだ、相手の顔を見続けることもつらい。見飽きてしまう。目も鼻も口も眉も見終わったら、店内の柱の形などを見たい。相手のことばかり見続けていると、後ろの背景がくっきり浮かび上がってきて、その残像がチカチカして眩暈がする。でもエピソードトークの話者は、コミカルな表情や身振り手ぶりでこちらに集中を向けようとする。聞き手はその視覚情報をちゃんと受け取っていることを示すため、話者に視線を注がないといけない。指輪が目に入って、結婚式はしたのかな? など別のことを考えだしてしまい、話を聞き逃して、焦る。
話者もわざわざ「これから面白いこと言います!」というフィールドを敷いて、何がしたいのか。そんなの、ドキドキしてしまうじゃん。発表会を見る親の気分になる。自ら勇んでそんな死出の旅に赴いて、何を得たい。
と、僕は、思っている、エピソードトークを、聞かされるのが、苦手なのだけど、
書いていて思ったけど、僕が聞き手として義務感を感じすぎているだけかもしれないな。相手の期待するリアクションを返さなきゃ、と、過度に緊張してしまうのか。上に書いたような、ある体験をそのときの感情や状況をわかりやすく描写しながら時系列順に語るということ自体は、会話の仕組みとしては至極普通か。僕もやっている気がする。もう少し、肩の力を抜いて聞いていいのかも。
ただ一定数、エピソードトークをするときだけ目の色が変わる人はいると思う。イタコみたいになり、場の空気を制御しようとする。そこにはどうしても何かしらの侵襲性というか、おしつけがましさ、おこがましさを感じて、冷や汗が出てしまう。これこそが、松本人志(というかテレビ)が市井に植えつけたコードなのでしょうか。エピソードトークは法律で禁止しよう。禁エ法。
「ある体験をそのときの感情や状況をわかりやすく描写しながら時系列順に語る」って、ストーリーそのものだな。僕は小説や映画は好きなのに、なぜエピソードトークは受け付けないのか。やはり「こう感じろ」というコール&レスポンスの構図に巻き込まれることが楽しくないのだろうか。小説や映画も、作風によって程度の違いはあれど「(鑑賞者が)ここでこう感じるように展開しよう」とデザインされていることはある。それを感じてやかましいと思うことは、あるな。でも、相槌を打つ必要がないだけストレスは少ないか。もともと僕は、作品を見るときにさほどストーリーを重視していない気もする。
自分が制作するときも、そのようなあざとさ(受け手の感情をデザインしようとする態度)はある。『デンパトウ』を作るとき、時として「この展開で、プレイヤーにいわゆるこのような感傷を喚起しよう」という意図を含ませていた。最終盤はとくに、こうしたら受け手がこう感じそ〜みたいな憶測を重ねながらストーリーを組み立てていた。僕は昨日見た『ホールドオーバーズ』にそのようなおこがましさを感じたのだけど、デンパトウとちょうど同じくらいのおこがましさだったな、と思った。
エピソードトーク嫌いだな〜という愚痴から、自己分析につなげてみた。
(すべらない話としての)エピソードトークが苦手な理由には、これがおもに「笑い」の感情をデザインするものであることも関係しているかもしれない。数ある感情のなかでも「面白い」と感じる回路はとりわけ複雑多岐だ。「嬉しい」「悲しい」「怖い」「気持ち悪い」などよりも、人による感性の違いが大きい。他の人と、お互いの感じる面白さの尺度を見せあうのは怖い。誰かにとっての「一番面白い」は、他の人にとっての「一番面白くない」にもなり得る。怖い。「怖い」は簡単。
「面白い」といえば昨日、M-1グランプリの決勝戦がおこなわれていた。パートナーはこの時期になると、タイムラインに無数のアマチュアお笑い評論家が発生することに腹を立てる。令和ロマンが史上初の2連覇をした。今年のM-1はレベルが高かったらしいですね(レベルが高いというのも、なんだかざらつきのある言葉だ)。高比良くるまは、毎年更新されるM-1シーンを分析し、その時流をとらえ、今年のM-1に一番ヒットするようなネタづくりをしていた。それはレベルが高い。「面白い」というとらえがたい感情をめぐる茫漠とした平野に挑戦し、点で競い合うお笑い芸人たちはかっこいい。
漫才について、思っていることがある。でも僕も、お笑い評論家になって嫌われたくない。だから、慎重に書く。
漫才の内部で寸劇をやるやつ、ある?よね。「俺、昔から、蕎麦屋なってみたかってん」から始まり「お、ええやん。じゃ俺お客やるから、お前蕎麦屋やって」「わかった」と言って、蕎麦屋と客の演技のふりをする。その演技の内側でボケがおこなわれる、みたいなやつ。あれ、多くないですか。
「漫才のなかでコントをやる」という意味で、コント漫才と呼ばれているらしい。界隈では、今の漫才は「しゃべくり漫才」と「コント漫才」という二つの形式に大別されているようだ。知らなかった。
しかし個人的には、その二項対立の理解はあまりしっくり来ない。コント漫才が発明され、それがあまりにも普及したために「コント漫才ではない漫才」を表すレトロニムとしてしゃべくり漫才というくくりが意識されざるを得なくなっただけのように見える。
僕としては、コント漫才っていう既出のフォーマットに対する自己批判的な目線のないまま

いや、やめよう。なる。これ以上書くとサンタ来ない
他の話
あとなんだっけ 書くやつ
あ、日本語のバリエーションについて
・関東の若者ってよく「〜するべ」という語尾を使いますよね。これは「べいべい言葉」と言って昔からある関東方言らしいのですが、年長者よりも若者が言っている印象が強いです。みなさんの周りでは使われていますか?
・「ぶっちゃけ」という意味での「しょうみ」って、10〜15年前は関西圏でしか使われない方言だった気がするのですが、最近は関東の人も言っている印象があります。標準語として定着したのでしょうか? これも若者言葉なのですかね?
この2点です。トロヤは関東と関西を転勤や進学などで行き来していたため、肌感として上の2点がとても印象に残っており、同時に周りの人との間に認識のギャップがあることを感じています。
本日は以上になります。
今後とも、何卒よろしくお願いいたします。