ソクラテス式マッサージ術

2024 - 12 - 30

14時に目覚めたけど、明らかに睡眠不足を感じた。しかし、いますぐ二度寝してしまうと日没を過ぎてしまうと思った。無理やり着替えて、散歩に出た。私は太陽の光を浴びることを強く信じている。

んだてめー

日光を浴びたいからといって、太陽のある方角へばかり進んだら、スタート地点からどんどん遠ざかってしまう。引き返す決断ができなかった僕は、ひたすらに西へと歩いていた。でも行く手を多摩川に阻まれ、冷静になった。僕は向き直った。そして太陽を背に、なんだかんだ家に戻った。散歩はほとんどの場合、同じ地点に戻らなくてはならない。そのことがやるせない。大人になったら、計画も立てず好きな向きに好きなだけ歩きたい。そして帰りは公共交通機関、場合によってはタクシー。そういう往路だけの贅沢な散歩をしたいなあ。今は通学定期があるので、ある駅から別の駅まで歩くような散歩をしてみてもいいかもな。

帰っても頭の中がんだてめーだったので、二度寝した。19時に目が覚めた。パートナーがタマネギを切っていた。シチューの具材にするためだ。僕は彼から包丁を受け取り、タマネギ以降の野菜を切った。ジャガイモと、ニンジンと、ぶなしめじ。ぶなしめじの切り方が、いつまでも分からない。しめじ一人一人?の個性を尊重する形で切った方がいいのか迷うし、頭と身体?を分離してしまっていいのかも悩ましい。非対称性の塊のくせに全体感は整っているせいで、刃を入れるとどうしても切る前より無惨になる。まず深く考えずに一回だけ包丁を差し込むと、被害状況にむらが出る。きれいに切れてくれたやつもいれば、一部だけ欠けてしまった痛々しい個体もいるし、刃が入らずに残った五体満足もいる。もうなんかこういうキノコのトリアージみたいな状況が僕はどうしても苦手で、生理的にぞわぞわしてしまう。だから、なるべく手を止めず無作為に、ザクザク包丁を入れて、均等に粉々にするように意識している。それゆえ僕が切ったぶなしめじは、ちっちゃい。

パートナーが煮込み番をしてくれているあいだ、スプラトゥーンをしようと思ってSwitchを開いた。昨日買って遊んだ『いるかにうろこがないわけ』のほうが先に目に入り、そっちをプレイした。昨日よりあきらかに上手くプレイできた。昨日は序盤で何度も倒れてしまい、一旦諦めた。でもお買い物中とかに、ずっと脳内でプレイしていた。前方にシールドを置いている追従敵に対して、その背後にシュバッと回り込んで倒すイメージを繰り返していた。そういうのが、無意識下で身体に沁み込んでくれていた感じだ。僕はそんなにゲームが上手い方ではないのだが、頭の中でたくさんプレイすることが上達の近道であることは知っている。しかし今日も、クリアには届かなかった。また一晩頭の中で寝かせるか。改めてスプラトゥーンをした。久しぶりだ。流行りのプライムシューターコラボを持った。

タルコフスキーの『ノスタルジア』を見た。素晴らしかった。ぼーっとした。他の監督作に比べて、映画であること(人が演技していること、カメラがあること、照明を焚いていること、ロケ地で撮っていること)を開き直っている印象があった。リアリティを犠牲にし、その代わり徹底的に造る。絵画のような端正な画面構成で、語りたいだけ語るのだ。

この画とか美しすぎる。このように画面要素をかなり恣意的にコントロールして配置する映画技法を、ミザンセン(Mise-en-scène)と呼ぶらしいです。ふーん。ひゅーん。

そのあと、僕はユメギドの開発について、パートナーに助けを求めた。ここ数日手をつけられていなくて、焦っていた。どうにか進めたかった。僕は彼に「僕にマッサージをしながら、ユメギドに関する質問をしてください。僕はそれに返答するかたちで、ユメギドについて思考を深めます。これを繰り返すことで、このゲームの中身を確定しようと思います」とお願いした。ソクラテス式の産婆術で、僕はユメギドの分娩にかかるのだ。

それをマッサージしてもらいながら行う理由は、僕が接客されたかったからだ(腰がガチで痛かったのもあるけど)。ソクラテスは関係ない。最近漠然とした空虚感が精神を占めていて、そわそわしていた。心がずっと痒い。そういう時期なのだと思う。今は「接客をされたい」というよくわからない下劣な欲望が膨らんでいる。マッサージ店やらキャバクラやらを調べていた。でもお金ないし、行ってもどうせ後悔するだろうし、そもそもこういう欠乏を埋めるための行動が心をぼりぼり掻きむしる自傷行為でしかないことは、経験的に分かっていた。衝動の波がおさまるまで、下手に動かないのが一番だった。今回はパートナーの助けを借りて「接客ごっこ」をおこなうことで、よこしまな被接客欲をあしらってみる作戦を考えた。パートナーは了承してくれた。

僕はうつぶせに寝そべり、筆記用のiPadとアップルペンシルを構えた。背後からパートナーがやってきて、僕の背中に両手を置いた。手に徐々に体重をのせながら、彼は「ユメギドってどういう意味なんですか?」とささやいた。ソクラテス式のマッサージが始まった。

生みの苦しみTime

ハアハア。

ユメギド(のアイデア)の分娩に成功した。かなり大枠で、確定した。工数の見積もりも取れるくらいにはなった。自分なりに納得のいく構成を思いつくことができた。初期案から、いろいろと変わった。よかった。活路が見えた。うれしい。下心のほうで期待していた接客のロールプレイについては、わりと序盤にパートナーがエヴァンゲリオン最終話を引き合いにメディア批評の難点について意見を述べてきたため、早々に破綻した(ふつうマッサージ師は、エヴァンゲリオンを引き合いにメディア批評に関する意見を述べないから)。でもいい。おかげさまでゲームの構成を考えつくことができたし、腰痛もやわらいだ。僕は彼に感謝した。

明日は、今日決まった構成を意識して、ユメギドの作業工程を明らかにしよう。それから基礎になるゲームシーンを作ってみる。

もしかして明日って、大晦日。2024年終わる感じですか? 今年の活動記録のnoteを書きたいな。間に合うだろうか……。

昨年は、このようなものを書いていた。今の自分とはまるで別人が書いたみたいだ。太字が多くて、すこしうるさく感じる。

書くのは明日ということにして、内容を決めておこうかな。

今年は、まずidoをリリースして、デンパトウをリリースして、Death the Guitarのパブリッシャーが決定して、あとは何があっただろうか、学校では映像作品をつくって、そうだ学生選手権の審査員もして、池袋PARCOに出展した。あとは就活ですかね……インターン……。あとはこの日記のことも書きたいな。当面の就活は辞めたのだし、この日記は公開してもいい。ただ、一度非公開にしてから正直すこし気が抜けてしまって、友達とギスギスした内容とかまるっとそのまま書いてしまっている。今のまま公開すると、一部の人に迷惑をかけそうだ。公開する前に一度、すべての記事を検閲しよう。

昨年のnoteでは、活動報告のほかにも「今年摂取して印象に残った作品」のリストを作っていた。タンジェリンとエレファントよかったな~。「摂取して」という言いまわし、インターネット的で気に食わないな。たぶん作品によって見る/聞く/遊ぶなど鑑賞の仕方が異なるせいで、泣く泣く摂取にしたんだろうな。なにか他の言い方。さっぱり「今年印象に残ったもの」でいいか。

今年は、とくに映画をたくさん見た。数えたら45本見ていた。僕からしたらすごく多い。今年は一年中体調が悪かったなか、短いし勝手に進む映画は、体調が悪くても見れるから助けられた。良かったのでいうと、悪は存在しない、アマデウス、暗殺の森、関心領域、SUPER HAPPY FOREVER、スワロウテイル、ノーカントリー、NOPE、ノスタルジア、バービー、バトルロワイアル、ボーはおそれている、マルホランドドライブ、落下の解剖学、ロボットドリームズ、ワンスアポンアタイムインハリウッド……このうちからさらに選抜するなら、『ノーカントリー』が最高だったなー! あとは『SUPER HAPPY FOREVER』と、『ボーはおそれている』にする。今年見た映画にはカウントしなかったけれど、攻殻機動隊やジブリを見返すということもして、改めて押井守と宮崎駿の圧倒的な良さを感じてしまった。でも、今さら取り沙汰するようなものでもないか。

本は全然読んでない。途中まで読んで止めたものばかり溜まる一方で、最後まで読み切ったのは4冊しかなかった。でも読み切ったやつは粒ぞろいで、『ゲーデルエッシャーバッハ』と『素粒子』は、かなり僕の人生に食い込んだ気がする。

ゲームも積んでばかり。学生選手権の審査とか、ゲームジャム、知り合いの開発したゲームの試遊、ゲーセンで遊んだゲームなどがあるので数えにくいけれど、そういう細かいのを除いて真面目に遊んだといえる作品は……20本。思ったよりはやってた。いやでもこれ『ときメモGirl’s Side』とか『ファイナルソード』とか早めに投げたやつも入ってるな。実際はもっと少ない。感動したのはLOK Digital、NUTS、ニーズヘッグ2、Pizza Tower、ファミレスを享受せよ、Leap Year。一番プレイしたのは結局スプラトゥーンなんだけど! スプラトゥーンをいい加減辞めたいという意味で、noteにはスプラトゥーンを書こうかな。あとは、読む人が比較的知らなそうなのを紹介するという意味で、ニーズヘッグとナッツが良いかな。

ほかのものは、何かあったか。魔笛のオペラとか、リアル脱出ゲームとか、道尾秀介×SCRAPの謎解きキットとか。良かったけど、とりわけ紹介したいほどではない。謎解きはむしろ飽きてきた。マダミスもさほど。TRPGは、年々やる気がなくなっている。ボードゲームはいくつか買ったけど、自分が得意なやつ(ドデリドなど、瞬発系)ばかり挙げてしまうから何とも。美術展は、あまり覚えていない。クラスメイトが後期講評会に向けて作った作品に強く感動したけれど、載せていいのかわからない。漫画は大して読んでないけどやっぱり『宝石の国』はよかったな~でもみんな知ってるからいいか。音楽などは、本当にミーハー……米津玄師、こっちのけんと、Creepy Nutsとか。あとは去年から聴くようになった、r-906、いよわ、原口沙輔、フロクロ、稲葉曇などのボカロ。『人マニア』は相当聴いた。あと電ǂ鯨の『暮しガスメータ』はかなり食らった。今年に聴いたのかは怪しい。ゲーム音楽でいうと、学マスは『Fighting My Way』をはじめとしてよく聴いた。スプラ3のサイドオーダーのBGMはすべて良かったなー。あとこれはもう今年とかじゃなくて不治の病のようなものだが、ポケモンの戦闘BGMを聴きまくった。エメラルドのバトルファクトリーのBGMにはまった。旅行とか? アルカトラズ島に観光に行ったこととか、自分の中ではかなり響いた体験だったので、書いてもいいかも。あ!!! 響けユーフォニアムの3期!!!!! 最高で!!!!!!!!! 『響け!ユーフォニアム』は、本当に紹介したい。太字。紹介しなければならない。アニメはあと『村井の恋』もとてもよかったな。

今のうちに、いろいろ挙げておいた。書くときの参考にしよう。そもそもなぜnoteに気に入った作品を載せるのかを考えてみたけれど、その理由は複合的であいまいそうだ。去年の自分は、さほど考えて選抜していないようだった。謎解きとかバンドデシネとかボカロなど、自分がもともとは興味なかったのに好きだと気づかされた領域についての言及が多いかもしれない。

2024年の抱負
・1月に『デンパトウ』が発売出来てこちらはひと段落するはず
・基本的には2024年は『Death the Guitar』の開発に専念するのみ
・イベントには積極的に出展したい
・就活もやりつつ
・あとは自分の興味の方向を明らかにしたい。言語化したい
・僕はゲームデザイン一辺倒で好きなわけでも、ゲームアート一辺倒で好きなわけでもない。自分の興味はどの分野でもグラデーションの狭間にある
・このゲームに対する微妙な温度感の違いのせいで、いまいち誰とも仲良くなれていない
・というか、友達がいない
・↑寂しい
・↑僕がコミュ障なだけか
・↑みんなそれぞれ興味が交わらないながらも、交わらないなりにベン図の共通部分をうまく見つけあって仲良くやってるんだ、きっと
・↑人と話すのが怖いのを何とかしたい
・2023年は人としゃべりすぎた
・2024年は籠りたい
・今年は様々な人から多様な意見を受けるということをしすぎたから、ここらで一年めちゃくちゃ自分の殻にとじこもって誰とも会話しなかったらウケるかも
・でもたぶん『Death the Guitar』をちゃんとした作品として世に出すなら、文句言わずに対外的にアプローチをしていくべきだ。家の外に出よう
・優先順位は「僕<Death the Guitar」
・このへんの膿んだ(くだらない、いらない、しょうもない)自意識をほったらかしにしたままでも作品にコミットさせてくれるのがパブリッシャーという存在なのかも
・違います
・でも、自分の作品のために自分を明け渡し切れないという悩みを抱える人は少なくないのでは? 物理的なレベルでも、精神的なレベルでも
・作品が自走したらいいのに

・あと就活もあるし、人と関わるのはやめないほうが良い
・2023年はピクセルアート界隈の人とわずかながら接点が出来たり、スピードラン界隈の人とわずかながら接点が出来たりしたの、じわじわ嬉しい。本当にどちらも素晴らしい世界だと思っているから
・ピクセルアートはグリッドや直角や解像度の操作によって視界が攪乱されてあたりまえの認識の裏に潜んだ美しさを教えてくれるからいい
・かなうことなら僕もピクセルアーティストになりたい。僕しか知らない知識を使って僕しか繰り出せない出力で人々をアッと言わせたい
・だが、僕は
・絵が
・下手~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・スピードランもやりたい。走者間の合意形成のもとルールが決められるのってゲーム空間という与えられた世界に集まって好き勝手遊び場を作っているみたいで本物の自由を感じさせる
・グリッチやチャート研究によって自分たちがかつて敷設したルートを容赦なく上塗りしていくところのプロ意識? 真摯さ? もかっこいいし、なんだろう、「遊びに真剣になる」の極北だと思うんだよな
・グリッチというものはそもそもゲームのよさそのものだ 世界に居ながらにして世界の創造主、造物主と渡り合う手段ってグリッチしかないんだよ
・グリッチもピクセルも
・自覚的だよな 己のいる世界について
・再帰的・自己言及なギミックについてとても興味ある BABA IS YOUとかThe Stanley ParableとかCOCOONとか なんかもっと掘れる気がする ザクザク
・スピードランやりたい RTA in Japanのゲームに対するリスペクトの”有りさ”好き 想定の遊びをハックして裏切るってのは、それだけ想定の遊びを知り尽くしているってことだから、どれだけふざけたショートカットを発見してそれを使い倒してもその行為は原作に対するリスペクトを損なわないように思える ここにも再帰性が現れている
・ゲーデル、エッシャー、バッハ
・作業するか
・2024年の抱負は、『Death the Guitar』をほぼ完成させる
・指を切断しないように気をつける(てこの原理に注意!)

記事の最後には、2024年の抱負も書かれていた。Death the Guitarが致命的に進んでいない。指は切断しなかった。中盤で友達がいないことを嘆いているが、今年は結構友達ができたと思う。それが本当にうれしい。これは「うれしいです!」と書こう。就活はやめた。歪んだ自意識や余計な自己嫌悪は、今ではかなりマシになっている。というかこれを読んで確信したけれど、僕、この一年で相当精神的に成熟したな。いまだに問題だらけではあるが、こいつ(ト2023)よりはよっぽど芯がある。なんだか安心した。Death the Guitarが致命的に進んでいないのが致命的だけど。

2025年の抱負はどうしようと思ったけど「Death the Guitarを完成させる」以外ないな。あとは、体調改善、落ち着きを身に着ける。指を切断することに対する恐怖みたいなのは今はない。今は、スプレッドシートが怖い。どうでもいいけど。なんだね、あれだな、とにかく、生活と創作の仕方をもっと考えられるようにしよう。自分にできることをやる。淡々とやる。習慣にする。作業過程もデザインして効率化、遊び化する。刺激の与え方なども。今年は生きるのが大変だったおかげで、生き方について様々なヒントを得られたから、それをゲーム作りにも相似的に適用していく。生きるようにゲームを作る。という感じで、いけたらいいな。交友関係などは現時点で満足しているので、特に望みは無い。人脈など要らぬ。SNSでの宣伝や日常的な投稿についても、あまりこうしようみたいな目標はない。適当。

この日記は書くことが楽しいし、きっと役に立ってくれているから続けたい。半年弱ほど続けて、僕は日記を継続するのに役立つとっておきの秘訣を学んだ。書く気が起きない日はさぼって、後日思い出しながら書けばいいということだ。まるでその日書いたかのような体で書いて、しれっと後日投稿する。投稿日時も偽れば大丈夫です。こうすれば、日記は毎日続く。みなさんもやってみてほしい。前の日のことをどうしても思い出せなかったり、もう本当に書く気がなかったら、一単語だけでいいから適当に「マグマ」とでも書いて投稿すればいいよ。続けることは意味があると思う。僕がこの日記を書いている理由は「ゲーム開発のリズムを作るため」だが、今のところそれは達成できていない。この日記は、ゲーム開発のリズムには微塵も寄与していない。でも続けてさえいれば、いずれ役に立つ時が来ると思うので。雨が降るまで雨ごいをし続けるのと同じ。