kintsugi 生活

2025 - 01 - 07

「これで美味いもんでも食べな」と言って入れ歯を渡してくる老婆

「溶岩石ホットヨガ」の広告をよく見かける。それらの広告には大抵、エクササイジーな格好の女性の写真が使われている。そのためか、最近の僕の語彙フィールドの中で「溶岩」と「女」がかなり近い位置にある。フランス語では溶岩(la lave)は女性名詞だった。

雨止んできた。嬉しいです! 今大学向かってます!

昨日は精神衛生のためNo Twitterを心がけたのだが、自分でツイートしちゃった。タイムラインは閲覧していないから、多めにみろ。かつて日記に「有刺鉄線で大縄跳びをしたい」と書いていたのをさっき思い出して、あらためて想像したらやっぱりやりたいなと思って、今でも新鮮にそう思えたことになんだか感動したのだ。

調べたら、MEGWIN TVが2012年に「危険!!有刺鉄線大縄跳びで限界ギリギリ|Let’s play Barbed Wire Jump Rope」というタイトルの動画を投稿していた。見たい。でも当該動画は削除されていて、見れなかった。そりゃそうか。2024年にLet’s play Barbed Wire Jump Ropeと思っているのは、もう僕だけなのか? 見たいよ。MEGWINが有刺鉄線を跳んでる動画をダークウェブでダウンロードした罪で逮捕された場合、懲役何年になるんだろう。

大学に着いた。僕は一週間ぶりくらいの日光に感動した。太陽、やっと会えたね。セロトニンをわたせ。ビタミンDもだ。全部出せ。全部ここ(網膜)に入れろ。

先輩の作品設営の手伝いをした。脚立に乗って、巨大なポスターを高さのあるボードに貼りつけた。脚立が怖かった。脚立、怖すぎる。脚立ってそういえば跨いで座ったらだめとか、上から何段には乗っちゃだめとか、何メートルより高く登る場合は誰かが支えないとだめとか、いろいろ決まっていたような気がする。1年生のときに安全講習を受けたんだっけ? 脚立はちょっと触るだけでわかる、あまりにも事故の余地がありすぎる。製品設計の側で、どうにかならないのか。自由度とのトレードオフで現状がベストなのかな。だとしたら、安全講習を毎年してほしいぜってくらいヒヤヒヤしちゃったな。

たまにある恐怖だ。身の回りのデザインについてふと考えて、それがあまりに人間を信用すぎてることに気づいてぞっとする感じ。

手伝い作業は1時間で終わった。

めったに使わない学食に行った。建物の入り口が油絵科生の作品にされていた。

食堂には、大学生がいっぱいいた。まだ授業開始してない科も多いので、空席が多かった。なんだかいい雰囲気だった。

食券機が「つり銭切れ」になっていて、値段ジャストで硬貨を入れないといけないらしかった。僕はそのことに気づかず、パニックになった。鯖の生姜煮定食を食べようとしてたのにカレーライスのボタンしか押せなかったから、カレーライスの券を買った。くそが。ここに毎日通っている学生は慣れてるんだろうな。定食と麺類などに応じて列が複数あって、そこでも右往左往してしまった。

主人公っぽい席を見つけて座った。大学の食堂って、物語の始まりを予感させる。『絶対的人狼』という好きなフリーゲームがある。それは学食でパスタを啜っている主人公のところに、「一緒に人狼をやりませんか?」とヒロインがいきなり話しかけてくるところから始まる。もう25歳だしそのような物語の始まりは求めていないけれど、でも学食のそういうムードに憧れる思いはある。パートナーと同じ大学で、昼休みはいつも同じテーブルで二人で食べるとか。そういう日常があったら楽しかっただろうな。

望まぬカレーライス。これを

こうして

こう

学食で、強烈な眠気に襲われた。両手で顔を覆って呼吸した。体のだるさ。思い出した。大学って行って帰ってくるだけでなぜかものすごく疲弊するのだ。体力つけねば。

居心地悪くなってきて、トイレに避難。主人公かもしれない。

設営手伝い後は大学で自分の作業をしようと思っていたけど、この疲れ具合は無理っぽい。帰ることにした。

帰り道、公園のベンチに座った。寂しい。独りだ。寂しいな〜。寂しいって良い感情だな〜。昨年僕は、自分のことを完全に理解できる人などいないことを痛感した。それ以来、こういう時に感じる寂しさのコクが深まった。寂しさは他者に補ってもらえるものではない。そのことを悟ると、なんだか寂しさという感情は、孤高≒自己充足(≒俺が俺にオンデマンド)の実現における必須の要素のような気がしてくる。寂しさに胸を張れる。自分の中に無くならない寂しさがあることを受け容れて初めて、他者にリスペクトを持って接することができるようになる。そう思います。ベンチに独りで座る時間がナイスです。

自宅マンションの前で、おじいさんが鼻から血を出していた。転倒してうまく歩けなくなったらしい。他のおじいさんに肩を支えられて、硬直していた。僕がスマホを出して「救急車呼びましょうか? お家に電話かけますか?」と訊くと「大丈夫です、ありがとうございます」と言われた。どう見ても大丈夫じゃなかったが、支えているおじいさんがしっかりと付き添っていたので僕はまあいいかと思って去った。でも振り返ると、もう少し何か手伝えることがあったかも。

エントランスでおばあさんが、掲示板を見つめていた。おばあさんがいなくなった後に掲示板を見てみた。張り紙が貼られていて「W管理員が急逝しました」と書いてあった。15時に帰って祖母にそのことを話した。「わたしもショックだったの。朝、その張り紙を見て佇んでいる人を見つけてね、なんだろうと思って見たら、Wさん亡くなったって。わたしも張り紙の前で、しばらくぼーっとしちゃった」僕は全く知らなかったが、Wさんはうちのマンションの住人の間ではとりわけ親切で気さくで、愛される管理人だったらしい。

うちは古いマンションなので、老人ばかり住んでいる。しょっちゅう救急車が来る。毎年、2025年も決まってこのマンションの全住民の年齢が+1されることを思うと、いつかすごい年が来そうな気がする。

高瀬舟羊羹(そういうめちゃうま羊羹がある)を食べて、コーヒーを飲んで寝た。疲れが本物だったので、一瞬で眠りに落ちた。

0時に起きた。もう今日終わったじゃん。でも新たな起床時刻に出会った。こん^^

このあたりの起床時刻を維持すれば、デイタイムを確保して陽を浴びれるのでなかなか悪くないかもしれない。明日も15時〜20時の入眠を目指してみよう。まあ経験的にこういう狙いは大抵うまくいかないんだけど。大事なのはやっぱり、何時だろうが起きている時刻に作業することか。

今から作業する。できらあ!