トロヤくんは僕に先立つ
午前2時に起きた。途中家族会議を挟んだけれど、あわせて17時間くらい寝ていた。しばらく鬱々としていた。チャカポコ、何が何やら。チャカポコ。
薬を飲んだ。笑ってしまうくらい思考がクリアになった。動くことができる。なんなら動けば動くほど、勇気がみなぎる。今までで一番たしかな薬効を感じた。こういうことなのか。人類の医学薬学の研究と実践に感謝の念をおぼえた。主治医にも感謝した。先生に勧められなければ、これを飲まなかった。
この数日間、穏やかに過ごせず、うまくいかなかった。今日から頑張りなおそう……穏やかを再開。まあ数日うまくいかないあいだに、レポートは書いて提出できた。計五つの年度末レポートが晴れて終わったため、進級に関わる学校のタスクは、もうなし!

快活CLUB、僕の個人情報も漏えいした可能性があるとのことだった。ベルセルクめっちゃ読んだのばれる。
ユメギドをつくる。
あ、vlog用のカメラが届いてる! OSMO Pocket3。開封した。使ってみようかな。散歩がてら。SDカードは自前で用意なのか。Switchに入れているものしかなかったため、とりあえずそれを使ってみた。
外に出て、撮影してみた。冬晴れ。ジンバル機能がかなりのぶれを軽減してくれていた。画質も良かった。付属のマイクみたいなやつを使わなかったが、音もじゅうぶん良く録れた。さすがVlogger御用達のガジェット。少し困ったのは、ベンチに寝そべった状態で自撮りをしようとした時だった。ジンバルが重力を検知して適切に画角を変更してくれるのだけれど、僕自身が重力に即していなかったので、カメラが全然こっちに向いてくれなかった。なるほどと思った。設定でなんとかできた。
いかにもvlogっぽく、今考えていることを自撮りカメラに向けて喋ったりした。あまり要領を得ない感じになった。明快には話せなかった。人気のYouTuberのようには話せなかった。普段から理路整然としゃべる訓練をしていないから、当たり前かもしれない。
自撮り映像を見返すと、自分の喋りかたの癖に気付かされる。僕は、今から話そうとする文に含まれていると思われる一単語だけをとりあえず即座に言って、それから黙って、時間をかけて言う文を頭の中で練る癖があることがわかった。たとえば、
「単語、一単語。…………僕今から話そうとする文に含まれているであろう一単語だけを即座に言ってそれから…………。……それから黙って時間をかけて文を頭で練る、練る、練、…………文を頭の中で練る癖があることがわかったんですよね」
このような感じだ。話したいことが連鎖的に浮かぶけど、まだ発話できるところまで組み立てられていないので、一単語だけ先んじて口に出しといて予約するみたいな。聴きやすいしゃべり方とはいえない。まあ、リアルでいいと思います。人が、はきはきと明瞭にしゃべるわけがない! vlogを何のためにやるかと言ったら、一粒のリアルを見せるためだ。カルチャーの担い手になるためではない。全体に寄与する者としてではなく、外れ値としての自分のリアルを見せるのだ。昔ならブログを読んでいたような人々にリーチするためには、今はvlogを使うのが適切なのではないかと思うのだ。まあ人気のvlogほど、リアルとはよっぽど遠いものになっているのかもしれないが。
↑と書いてみつつ、実際は思いつきで10万のカメラ買っちゃったから、とりあえず録ってみただけなのだけれど。でも素直にワクワクしてやれたな。YouTubeやニコニコへの動画投稿は、中学生の頃から色々とやっていた。動画サイトに投稿する行為は、やっぱり馴染む。気軽にやっていきたい。でも今のYouTubeはかつてよりも残酷なアルゴリズムを骨格にしているだろうから、再生数や高評価数のような数字を頼りにしていては、すぐに自分のリアルは取り去られるだろうな。動画を録ること、編集すること、投稿すること、その過程自体にサステナブルな喜びを見出せなきゃ、やっていられない。
ゲームを作ることも……。「ゲーム作り」を使命的な、実存的なレベルで人生を預けられる営みだと言えるような実感が見つかるまでは、あんまり本気で向き合いすぎたくない。変に未成熟のまま市場に飛び込んでしまうと、金や承認をだしに、よけいに実存が奪い去られていくだけだ。2023年は自分を見失ってたなー。
自らの使命がまずあって、それのために市場やアルゴリズムを手段として利用する。この力関係に則って、システムをモノにしたい。できてる人はできてる。僕はまだ、だめ……。気を抜くと数字を目的にしてしまっている自分がいて、その反動でシステムを過剰に毛嫌いする自分もいる。両極端だ。自分で自分のあり方を定義できていないからだ。
とりあえず、ゲームでも、日記でも、動画でも、SNSでも。まずは作ってみて、書いてみて、出してみる。それを眺める。それを眺めて考える。目的や手段などを早まって抽出しようとせず、とりあえず作る。書く。出す。今は本質を急ぎすぎて、出力が足りてない。自分のあり方は、その都度ゆっくり考える。「使命」と「営み」がそんなに都合よく一対一対応でハッキリと存在してる状態のほうが不自然かもしれない。2023年の僕だって、きっと彼は彼で、当時の使命らしい使命を感じていたのだ。今の僕はそれをふまえて当時を否定しているというだけで。
ユメギド、作ってねえー。やってなさすぎる。明日にパスする。困ったね。困った困った。アハハ。なぜ作らないかは、わかってる。
わかってるから大丈夫だと思います。