身体の洪水
オオーーオオオオオオーオ。
朝の記憶ない。

ブックオフに向かいながら、整形外科を、見つけて、腰。

初動が芳しくなかった。外に出たときには夕暮れ。目覚める時刻がまた後ろ倒しになってきている。
整形外科に着いた。名前を呼ばれたので診察室に入ったら、看護師の方に「リングフィットって、あのゲームの?」と尋ねられた。事前に提出した問診票の「スポーツをしていますか?」に、「リングフィットアドベンチャーをしている程度です」と書いたのが読まれたのだ。「そうです。すみません、運動に入れるほどのものじゃなかったですよね」「私もゲームやるのよ。プレステ4。アッハハ」「そうなんですね、何やられるんですか?」「Division2」

「へ〜ディビジョン」「知ってる?」「すみません知らないです。銃とかですか?」「そうなの。仕事終わりに毎日ね」彼女は指を銃の形にしながら、問診票を先生に渡すため、いなくなった。僕はその隙に、Division2について検索した。看護師が戻ってきた。「結構リアルめなPvPなんですね。一人で遊ばれるんですか?」と言ってみた。「そう〜あのね、基本チーム戦で、でもオンラインの人と組んで一人で遊ぶのもできるし、フレンドと遊ぶこともできるし」「(あなたは)フレンドさんとやられるんですか? それとも野良ですか?」「どっちもできるのよ。仕事終わりにね。アハハハ」
先生が来たので、Division2の話は終わった。あんまり上手く話せなかった。まあいいか。先生は「どんなときに痛い!」と言った。「寝そべる以外の姿勢をしていると、どんどん痛くなってきます」「ハイハイ、じゃあ後ろ向いて、立って! (指圧して)ここが痛い!」「痛くないです」「ここは!」「大丈夫です」「ここは!」「大丈夫です」「じゃあこ、こ、これちょっと下ろしていい!」僕がズボンを二枚重ねて履いていたので、触診をやりにくそうにしていた。僕は「すみません、これ下もまだズボンなので、脱いでおいたほうが良かったですよね」と言った。看護師さんが「今日は暑いけれど、帰りは冷えるかもしれないものね」と、ズボンを二枚履いている者へのフォローを言った。「ここは!」「痛くないです」「じゃあ服戻して、ハイ、前屈。オーさすがだね。ハイ次、後ろー」上体を後ろに反らしたら、先生と頭がぶつかってあっごめんなさいと言った。
その後別室でレントゲンを撮ってもらい、先生のところに戻った。
「うん。腰椎分離(ようついぶんり)症ですね」先生はレントゲン写真を指した。「1、2、3、4、5番目のここ、離れてるでしょ? これ普通の人はくっついてるんですね。見て? 離れてるでしょ。これ生まれつきですね」先生は、二つの椎体とその間に膨らんだ椎間板が挟まっている模型を取り出し、僕に見せた。「で、普通の人は4、5番めのここ(写真)。ここの椎間板が一番大きく膨らんでる。これ(模型)みたいにね。でもあなたのは他のと同じくらいの幅になっちゃってる。よくない腰への負担が続いて、椎間板がこう(模型)じゃなくて……」先生は机から、ギャンブルに使うコインみたいなやつを取り出して僕に見せた。「これくらい!」「そんなに、薄く……」「擦り減っちゃってるんですね」「その分離症? というのは、どうにかする? というものでもないんですか」「うんこれは! どうしようもない。ただレントゲン撮ったらそうだとわかったから、あとで『なんで言ってくれなかったんだ』と文句言われないように、今、言っておきました」
二週間ぶんの痛み止めと、湿布を処方された。二週間後も痛みが治らなかったらまた来てくださいと言われた。

薬局で薬を受け取ったあと、ブックオフに行った。取り寄せた本を購入した。腰のことを考えていたら腰が痛くなってきた。帰りは電車に乗ることにした。

腰椎分離症について調べた。YouTubeで調べたら子供向けのQ&A動画ばかり出てきた。
腰椎分離症は、主に10代のスポーツをやる子供が腰を捻る運動などの負担が原因で罹るものだった。野球部が多いらしい(バットを振る動きが腰を傷めるから)。レントゲンで判明することは少なく、MRIでようやくわかることが多いとのこと。発覚したら3ヶ月ほどは運動は中断し、硬性のコルセットを巻いて絶対安静を保って休息すれば、分離してしまった箇所が元に戻り回復するようだ。逆に、分離に気づかないまま、あるいは放置したままスポーツを続けてしまうと、分離部は元通りにはならないとのこと。我が子が腰椎分離症の診断を受けたのにスポーツをやめさせない親に対して、武井壮が怒っていた。
↑は一般的なケースの話だ。僕はスポーツとは比較的縁遠い人生を過ごしてきている。野球など、ルールすら怪しい(なんか、塁と塁の間で急に鬼ごっこみたいなことやりだすの、何)。先生に言われたところによると、僕の腰椎分離は先天性のものらしい。もう25歳で、レントゲンでわかるくらいはっきりと分離しているとなると、これはもう治療するというものではないようだ。

この腰椎分離症は「ある」と言われただけで、これが今の腰痛の直接的な原因だとは言われなかった。先生は大きなクリニックの医師らしく、断言口調で事実のみ述べ、不要な憶測や因果関係を生むようなことは言わなかった。腰が痛いのはまあ、筋力不足や姿勢・生活習慣による負荷の積み重ねによるもので、ピンポイントで何が悪いというものでもないのだろう。腰椎分離症はあくまで、その積み重ねの中に背骨の構造的弱さとしていくらか関係している……くらいの認識でいいだろう。
コーヒーとトイレットペーパーを買って、帰宅した。腰が痛い! ア! ア!

ブックオフの包装紙を破った。ジャン・ジュネ『泥棒日記』。表紙のカバーのめくったとこ、あそこ何と言うんでしたっけね、そこに、作家の顔写真と、経歴が記されている。
ジャン・ジュネ。1910-1986。パリで父無し子として生まれ、母親にも捨てられる。15歳で少年院に収監されるが脱走し、乞食、泥棒、男娼をして各地を放浪し、ヨーロッパ中の刑務所を転々とする。すごい生きざまだ。トロヤマイバッテリーズフライド。千葉県で生まれ、Twitterに収監される。25歳で腰椎分離症の診断を受け、落ち込む。ジュネは犯罪しまくりの結果終身禁錮を求刑されたが、サルトルらの働きかけにより刑を免れ、自由になったらしい。どういう働きかけをしたら終身刑が覆るのか。ページをめくると「サルトルへ、『カストール』(=ボーヴォワール)へ」と書かれていた。
表紙の絵に既視感があった。なんだっけ。

家畜人ヤプーだ! 村上芳正という挿絵画家らしい。ウワーわかって嬉しい。
腰が痛くて寝そべった。
腰痛について考えた。
このあと発作的な絶望に襲われた。声が出なくなり、パートナーに返事ができなかった。メモ帳で話しかけた。
苦しい 恐怖と痛みと 身体と境界 ここがうごける空間でない リビングの明るさ テレビの音 パートナーの立てる足音、咳払い、鍋の音火の音 実家と同じおそろしさ 他者 との空間が 無理だったらどうしよ ご飯できたよって呼ばれる時間が来るのにつねに恐怖的な 今だけ強烈なやつと思いますが しんたいぅおけ 時間が 身体に言い聞かせるのもこわ パートナーの中で思考が動いていることも予想できない このベッドも僕のものでない から永続的でない 身体も僕のものでない 境界 返事をすることも、それに必要な要素が足りない 予想のできない耐え忍ぶしかない空間で人に思われ存在の状態を特定の状態を求められていることに耐えられない 応じられない ことで 関係に参与せざるを得ない自分の身体が
自分のものではないと感じる
自分が身体から追い出されている
接するものから追い出されている
居場所がないと感じる
外からの働きかけに無限の恐怖を感じる
過剰な空間