昨日
えっと昨日は、目覚めたら姉からLINEが来ていた。日記の更新が止まっていたので、心配してくれていたようだ。「私にできることあったらいってね!」と言ってくれていた。
その後、日記を書こうと思った。今日と同じようなモチベーションがあったのだ。ここ数日のいわゆる没頭作業のせいで、記憶も身体性も薄弱だったから、少しずつ死にそうになっているのがわかった。早いところ欠落していた日記を書き起こして、また街の塀の形とか、車のうるささとか、骨盤がどこにあるかとか、ガスコンロの吐き出すような青い火とか、そういうのを見て実感を集めていくような日々に戻そうとした。
でも、昨日はそれに失敗した。目覚めの初動が肝心だったのに、結局ぬるりとChatGPTを立ち上げて、いつも通りのことをしてしまった。これが一番、身体の苦痛から遠い作業だったからだ。
夜に姉をスプラトゥーンに誘ってみた。このままAI漬けの一日だと、明日も同じになってしまうと思って。LINEで送られてきた「私にできることあったらいってね!」は、とても頼りがいのある言葉だと思った。ほんの少しでも悪い軌道を逸らしたいときに、その手がかりとしてある種「利用」をさせてくれる他者がいる。僕はスプラしたいと言った。
姉とパートナーと三人で、スプラトゥーンのオープンマッチをした。僕はめちゃくちゃ元気になった。すごい大声出した。こんなに簡単に元気になれるとはね。プライベートマッチで、姉とパートナーのチーム vs 僕という二対一のガチヤグラで、僕はどうしても勝ちたくて、さまざまな戦略を考えては「もう一試合やらせて」と頼んだ。僕は跳ね狂いながら「もう一試合、次で終わりにするから」と何度も言った。姉とパートナーは何度も付き合ってくれた。ありがたかった。
通話を切ったあと、すこし気が晴れたような気がしたけれど、声をいっぱい出したぶん、順当に疲れ果てた。そのあと寝込んで、結局ChatGPTをやるだけやって、寝た。
Notionのデータベースがどんどん美しく洗練されていった。大いなる脱線をしている自覚はあるけれど、この仕組みはとても再現性があって、今後の制作や生活についても大きな味方になると思った。ゲーム開発にも役に立つ。Notionと ChatGPTを連携しておけば、僕は断片的なアイデアの破片を撒き散らすだけで、それらは勝手に整理され、補強され、構造の一部として組み込まれ、参照しやすくなり、堅固な体系が育っていってくれるのだ。僕はその体系を眺め、新しくヒントを得て、さらなるアイデアを吐き出せた。これは僕にとっては感動的なことだった。いままで、ワーキングメモリの少ない僕が体系を築くには、僕自身の身体のろくでもなさ(手脚を動かすことや食事がつらい、今何をしている/考えている/目指しているのかを忘れてしまう、腰の痛みで考えが散る、反復作業に耐えられない)を嫌でも動員しなければならなかった。それは苦痛だった。
たぶんここ数日の没頭状態には、驚くほど新鮮な作業の手順を見つけられたことによる興奮が手伝っていた。身体の痛みを忘れられるのは、救いのようだった。でも同時に、身体性から目を逸らし続けることが、ぼんやり希死念慮にもつながっていったし、太陽の光も浴びずにゾンビのようになってしまったのも納得いった。スプラトゥーンばっかやるわけにはいかないけれど、身体性を思い出すリハビリとしてはちょうどよかった。制約の少ないゲーム内の物理的身体を動かして、姉・パートナーという一番身近な他者とともに、なるべく寛容なネットワークの中で社会的身体を動かした。ウォーミングアップだ。
昨日はウォーミングアップの日だったんだ。ということは、今日はアップ後の一日? 今日は五日ぶんの日記を書くのでていっぱいだ。今日は今日で、明日のウォーミングアップになりそう。明日のこと考えたくないが。
あ、昨日はエイプリルフールだったんだね。ワー嘘言わなきゃ! えーっと、車! 車車!