遺失物太郎
3時に起きた。Death the Guitarの作業。

アセットのディレクトリ構造を一発で取り出せるようにできた~。GameMakerの開発環境内のディレクトリ構造がエクスプローラーのパスには直接反映されていなかったから、.yyデータの中身を読み込んで正確な住所を引き出す必要があった。複雑な処理を目指すとChatGPT頼みだけではどこかがおかしくなってくるので、自分も勉強してPythonの理解が深まってきた。インデントでネストが決まるんだね……ラフだな……。でもGameMakerの内部でコードを書くよりは、外部データを読み込んで出力する形式のほうがずっといいかもしれない。
僕がDeath the Guitarの制作に挫折しかけた理由の一つとして、GUIでステージを作る作業の重さがあった。(ステージに配置した)オブジェクトの内部の変数をいじるときの手間数が多かったり、レイヤーをまたいだ操作が面倒だったり。GameMakerは素直な作りかたにはとことん優しいけれど、素直なままプロジェクトを拡充していくと、手間数が掛け算的に増えていってしまう。
良いステージづくりを目指すと「配置の調整→実行してテスト」という1ループをなるべく細かくやりたくなるけれど、その作業工程の最適化をさぼっていると1ループがどんどん面倒くさくなってくる。2Dアクションゲームにおけるステージ制作なんてゲームのクオリティそのものに直結する不可避の作業なのだから、ステージ作りが億劫だったらプロジェクト自体を嫌いになってしまいかねない。ここから逃げないようにしよう。嫌いにならないよう、工程の最適化作業から逃げない。さぼりかたを作ることをさぼらない、というのが僕の開発のテーマだ。
今日は学校の健康診断と、歯医者の予約がある。午前中に家を出るべきだったのだが、作業中断するのをさぼってたら正午過ぎちゃった。やべ! 僕は中間尿を採取して、出かける用意をした。
出かける前に、パートナーにイヤホンを借りてもいい? と尋ねた。自分のワイヤレスイヤホンが片耳壊れてから、屋外の刺激をやり過ごす術を持たないまま、無防備で外に出るしかなくなっていた。イヤホンがないとノイズキャンセリングができず、一時的に鬱っぽくなったときにマインドフルネスアプリでメンタルを立て直すこともできなかった。音楽も聴かなくなった。思ったよりきつかった。金に余裕できたら新しいの買わねば。
パートナーは「いいよ」とAirPods Proを貸してくれた。ありがとうと言って受け取り、僕はそれをズボンの左ポケットに入れて、家を出た。

AirPods失くした。電車から降りたら左ポケットに入っていなかった。アアアアーアアア。
とにかく適切な行動を取らないと。まず自分のiPhoneの「探す」を見たけれど、自宅以降の位置データは残っていなかった。次に、パートナーに電話をかけた。「もしもし。iPod、違うAirPodsを失くしてしまった。本当にごめん。そっちの『探す』アプリで、何か情報ないかな?」「わかった。一旦見てみるから、電話切るね」しばらくして、パートナーから「わからなかった」とLINEが来た。僕は、駅に入ったときにはポケットに入っていたのを覚えてるから、電車内か、あるいはア駅のベンチか、乗り換えに使ったカ駅のベンチに落としたと思うと伝えた。そのあと、電鉄会社の落とし物センターに連絡しようと思った。大学までまだ一本電車に乗る必要があったから、駅のホームで電話をかけた。しかし、混み合っていて通じなかった。
大学の最寄り駅についた。雨が降っていたので折りたたみ傘を差した。健康診断も受付時間がぎりぎりだった。歩きながら再度落とし物センターに電話をかけた。かかった。「あの電車内か駅でAirPods、あのワイヤレスイヤホンですねAppleの、を失くしてしまったんですけど」「本日ですか?」「はい今日今さっきです」「何時ごろの電車かわかりますか?」「ハイ、ちょっと待ってくださいね、ア駅12:13分発の、サ行きに乗りまして、12:23にカ駅でタ行きに乗り換えて、ナ駅で降りました」「AirPodsでよろしいですか、AirPods Proですか?」「あProです」「ケースを失くされたんですか」「ケースです」「中身は入ってますか?」「はい」「両方とも?」「はい」「何か専用の入れ物に入ってますか?」「特には。そのまま白い、丸い」「何かステッカーなどは貼ってますか?」「特には無いと思います」しばらくの保留音のあと、「今では届いてないようですので、またご連絡ください」「あとア駅とカ駅のベンチに座ったので、そこにあるかもしれないです」「かしこまりました、今のところは届いてないようですので」
暗い気分のまま大学へ歩いた。最近立て続けに物を失くしてる。カードケースと実家の鍵を失くしたばかりだ。思い返すと、三件ともスウェットを穿いて出た日の出来事だった気がする。ユニクロのスウェットは、ポケットの形状的に、着座したときに転がり出てしまうのかな? なんにせよ、人から貸してもらったAirPods Proを即日失くしてしまったことに強烈な呆れと焦りを感じた。パートナーに対してどのように謝罪と埋め合わせをすればいいのか、今どのように振る舞うことが適当なのか、これからどうこの反省を活かすべきなのか、考えて、疲れた。
健康診断を受けた。長蛇の列で立ち続けたので、腰痛が悪化していった。眼球を動かせなかった。列に並ぶ一年生たちは、入学直後特有の過剰さを発揮していて騒がしかった。前の人が常にゆらゆらしていてきびしかった。まさにパニックだったからイヤホンをつけたかったけれど、そのイヤホンは僕のせいで無かった。呼吸と足腰の痛みを和らげるための重心移動だけやり続けた。
身長も体重もあった。
健康診断が終わって、大学のバス停に急いだ。次は歯医者の予約があって、家を出るのが遅れたので最速で向かわないと間に合わない。バス停にも長蛇の列が出来ていて、並んだ。前の二人は語尾が「でゲス」で終わるキャラクター一覧を読み上げたあと、サイゼで食べるエスカルゴに付いている殻は巻貝を割ったやつなのか、飾りなのか言い争っていた。僕は心臓の高鳴りがおさまらないまま、腰の痛みと疲労感で屍みたいな格好で吊り革に掴まっていた。目を閉じていたけど、バスがどの信号で停まっているのかわかった。バスに乗っているとき、信号待ちの停車時間がちゃんと赤信号の時間だけあることが不思議だなって思う。心の疲労も体の疲労も、自業自得であることがつらかった。僕は「疲れた」と言える立場ではなかった。貸したAirPods Proを一時間で紛失されたパートナーが感じたショックや怒りを引き受けて、物質的にも補填するために僕は動かないといけなかった。
歯医者に向かう電車を待つホームで、もう一度落とし物センターに電話をしたが、届いていなかった。
電車内では、イヤホンに頼らずにできる瞑想っぽいプロセスをChatGPTに訊いた。「視界の端を観察する」を提案されたので、やってみた。眼球は動かさず、視界の端にうつる物や色、動きを言語化していった。車両端に立っている乗客の服装や年齢を、認識できる範囲でまとめていった。「見る」という行為は、首や眼球を動かすことで対象へ視線を向けることと捉えがちだ。でも、レティクルが直接指していなくても「視界」にはさまざまな物が収まっているわけで、それらを対象として積極的に認知していくことも「見る」ことなんだなと気づいた。これはとてもよかった。電車の音や揺れ、脳内のネガティブな考え、身体の痛みへの意識を和らげることができた。
最速で歯医者の最寄り駅に着いた。予約時間ぴったりに着いた。
歯列矯正が最終段階を迎えた。歯並びは完成。あとはしばらく固定具的なマウスピースをつけて、この歯並びを定着させるらしい。先生が矯正前/後の歯列のビフォーアフター写真を見せてくれた。たしかに綺麗になっていた。僕は変化の顕著な部分を指さして「おおここ、ここが」「ね〜だいぶ真っ直ぐなりましたね」「ありがとうございました」「頑張りましたね」
先生は「頑張りましたね」と言った。僕はただ着けてただけだけど、でも、たしかに頑張ったかもなと思った。マウスピースは着脱の手間があるから、ちょっと差し出されたお菓子をつまみ食いするみたいなことができなかった。外すのが面倒くさすきて、食事を断念することもあった。知人との食事の席で、マウスピースを取るためにトイレに行くも、用だけ足してマウスピースのことを忘れて戻ってきちゃって「あっもう一回トイレ行きます」みたいなことが何度かあった。そういう意味では、マウスピースを着けるようになってからは、食べることにやや障壁があった。
まあ別に慣れたし、決して文句いうほどのストレスではなかった。僕より先生の方がよっぽど頑張ったのでは。

関係ないけど、いつかの僕の歯のレントゲン写真。下の親知らずは抜歯を断念したので、二本ともいまだに歯茎のなかで眠ってるんだけど、角度がさ……。

君ら。

どこ向いてる。
歯科を出たので、帰宅を目指す。またバス停で待つ。空いていたベンチに座って、ジャン・ジュネの泥棒日記を読んだ。肘を膝につけて前傾姿勢をとらないと腰の痛みに耐えられなかった。隣に腰の曲がったおばあさんが腰かけたけれど、似たような体勢だった。僕は老いることの意味がわかってしまい、震えた。
バスを降りた。家に帰る前に、交番と最寄り駅に、AirPodsの紛失の届けを出しておこうと思った。落とし物として届くなら基本は駅のはずだけど、拾い主が交番に届けて警察署の管轄になる可能性もあると思って。
交番に行って事情を話すと、書類を渡された。遺失物届けに記入するように言われた。記入例の名前欄には「遺失物 太郎(イシツブツ タロウ)」と書かれていた。巡査の方が届出の内容をタイピングして書き写しているあいだ、指名手配班の顔を覚えていった。
その後最寄り駅に行き、窓口に相談をした。相談するために立っていた場所が、あの、一番端っこの広めの改札、通常の乗客も使うタイプの改札、その只中だったので、降りてきた多くの乗客が容赦なく僕と接触しながらすれ違っていくので、そわそわした。ICタッチする部分を塞いでしまい、おじさんに「じゃやぁーごら」と怒鳴られた。
窓口の人にAirPodsのシリアルナンバーを伝えたら、ハ駅で回収されてますと通知された。見つかった! よかった。僕はハ駅には降りていないから、電車内で座ったタイミングで落としたってことかな。ちょうど同タイミングで、パートナーから「『探す』したらハ駅にあるらしい」とLINEが来た。
そのまま電車に乗り、ハ駅に向かった。さほど近くない駅だった。片道37分。帰宅ラッシュと重なって、今日最後の試練という感じだった。

到着したハ駅の窓口で、無事AirPods Proを受け取った。帰りの電車ではそれを装着して、ノイズキャンセリングしながら目を閉じた。求めていた静寂だった。
帰宅した。パートナーに、今日の自分の不始末を謝った。パートナーは「さすがにショックだった。でも一生懸命探してくれてありがとう」と言ってくれた。
僕は彼が感じたショックがどんなものだったか、自分のなかでできる限り精細に理解して共感しようと脳内で感情を回しながら、横になった。
すぐ寝た。