熱視線
8時に起きた。
昨日の脚の痛みを引きずっていた。
髪切ろう、髭剃ろう、契約先からの連絡返そう、初回授業日と次の精神科の予定被ってるからリスケしよう、新しい布団何買うか決めよう、テレビ局とのデンパトウ関係の連絡とろう。
あと銭湯行こうと思った。この体の痛みは、湯で治すやつかも、と思ったのだ。
やりたいことが溜まって混乱した。一つずつおこなっていった。
よく考えたら手元に金がないから床屋にも行けないし銭湯にも行けなかった。口座残高も終わっていた。次にお金が入る日まで、髪は切れないな。諦めようとしたら、パートナーが銭湯代をくれた。「日も出てるし、散歩がてら行くのに丁度いいよ」
家を出て、銭湯に向かった。外は良い天気.jpg。
銭湯閉まってた。火曜日が定休日らしい。火曜定休って床屋じゃなかったっけ? 髪の毛が火で燃えたら縁起悪いから、みたいな。そんなこと言ったら俺だって燃えたら縁起悪いが。銭湯は炎水タイプだから、火曜が休みになる印象はなかった。不動産屋が「契約が水に流れないよう」という語呂で水曜日を定休にするみたいな話も聞いたことある。どちらにせよ銭湯は閉まっているため、僕はUターンするしかなかった。
帰った。銭湯は諦めてシャワーを浴び、いそいそとToDoリストに記載したことをこなしていたら、なんだか全身が明らかに疲れてきた。GQuuuuuuXのアニメ見た。その後作業復帰しようとしたけれど、変な感じでそわそわした。今日は珍しく、精神のほうはまだやる気あるのに身体が先にエナジー切れのシグナルを発した。試しに横になってみると、即座に眠れる状況であることがわかった。
まだやれます! と今日にしがみつこうとしている自分がいたが、無視して寝た。
今日何もなかった。細々とした連絡をしてたら疲れちゃった。書くことない。
公衆浴場では刺青のある者の入店NGが強調される。でもその一方で、刺青の者を一番目撃する場所も公衆浴場だよなと思う。地域の銭湯などは規制が少なく、全身ギンギラギンのおじさんとかいる。
それは単に公衆浴場くらいでしか他人の裸を見ることがないからなのだけど、この認識の転倒は面白いと思った。エイブラハム・ウォールドの爆撃機の生存バイアスの話に似たものを感じる。自転車のヘルメット着用率が増えたことで、怪我人の数はむしろ増加したみたいな話(今までは死亡してたような事故が、怪我で済むようになったから)。
床屋は、月曜日が定休日であることが多いらしい。第二次世界大戦後の全国的な休電日(国の電力不足を補う日)が月曜だった影響で、理容組合で一律月曜休みにしようと取り決められた時期があったそうだ。今はとくにそのしきたりは無いから、店によってまちまちらしいけれど、当時の名残で月曜定休を維持してるところも多いのだとか。「髪が燃えたら困るから床屋は火曜定休」なんて話はなかった。僕はいったい何と勘違いしていたんだ。髪が火で燃える想像をしてたのは僕だけの被害妄想だった。
僕が生存者バイアスのWikipedia読んでいるとき、パートナーはヤツメウナギのWikipedia読んでた。ヤツメウナギってウナギじゃないんだ。魚でもないんだ。
睡眠誘導音声で、日本の温泉文化についてみたいなものを聞いた。日本人にとって「裸の付き合い」は、社会的な肩書きを解体し垣根を超えた関係性を気づく上で重要だった、だって。簡単に言ってくれるぜ。
僕は昔から、修学旅行などで見知った人たちと入浴するのがすごく嫌だった。風呂に限らず、体育の着替え時間とかも嫌だった。今でこそ人前で裸を晒すことや他人の裸を見せられることには慣れたけれど、思春期の頃の僕は、異性愛規範のなかで「見られること」が前提になっていない空間において、自分の視線の配り方ひとつひとつが加害性を帯びているのではないかという緊張感とともにあった。友達に「ゲイって公衆浴場で性的対象の裸を見まくりで得じゃん」と言われたことがあるが、そのことの重さは「得」と開き直れるほど簡単なものではなかった。「得」と思われうるくらいには一方的な消費構造が宿る場だから、僕にとって浴場はフラットでもなんでもない戦場だったのだ。それに、自分の裸自体が誰かの「得」になっているのではないか、という反転した自分への視線も内面化されていて、このトラウマ的でナルシスティックな感覚は、いまだに僕の拗れた自意識の一端を担っていると思う。