ばくごこち
起きて新宿のブックファーストに行った。18時からyさんと僕とパートナーの3人でご飯を食べる約束をしていて、せっかくだからすこし早めに出て本を買おうという計画だ。
パートナーが「読みたい本があったら買ってあげるよ」と言ってくれた。僕は読みたい本を思い出そうとした。こんな時のために、スマホのメモに気になっている作品のリストを作っていたのでそれを見た。『おこりじぞう』と書いてあった。なんだこれ? これを書いたときの文脈を思い出せなくて、今はべつに『おこりじぞう』を読みたくないなと思い、却下した。でもこれじゃメモを作ってる意味ないな。
しばらくふらふらしてたら、読みたいと思ってたやつ思い出せた。

たつなみさんの『すこしずるいパズル4』、九段理江『東京都同情塔』、鈴木結生『ゲーテはすべてを言った』。たつなみさんはファンで、すこしずるいパズルシリーズは出たら買うようにしてる。あとの二冊は新しめの芥川賞受賞作で、断片的に得た情報からどちらも僕が好きな小説である匂いがぷんぷん漂っていた。本屋で思い出せてうれしかった。

店に入ると最奥の鏡に反射してyさんが座って待っているのが見えたので、鏡に向かって手を振りながら背後から接近して挨拶をした。僕のパートナーとyさんは初対面だった。
今日は朝から吐き気があって、出てくる料理をほとんど口にできず申し訳なかった。無理やりサラダを食べようとしたが、一欠片のきゅうりしか食えなかった。美味しかった。きゅうりってよく「食べても意味ない」と蔑まれるけれど、だからこそなのか、何も食べられないようなときに唯一口に入れることができた。きゅうり感謝した。今日からきゅうりを馬鹿にする者は許さないことにしようかな。
yさんも昨日、代々木公園と渋谷の任天堂ショップに行っていたらしい。同じムーブをしていた。彼は彼のパートナーとふたりで、花見兼買い物をしたらしい。僕が昨日代々木公園に行ったときには真っ暗で桜はほとんど見えなかった。
さまざまな話をした。北海道には登別とか三毛別みたいに「別」を含んだ地名がよくあって、これは川という意味らしいことをyさんが教えてくれて、なんでですかねとなった。僕が「別(わか)つという意味じゃないですか? 川は此岸と彼岸を分ける存在だから」と言ったら、yさんが「頭良いですね」と褒めてくれて脳汁が出た。僕もこれは我ながら鋭いぜと自惚れた。帰りの電車でパートナーにこのことを話したら「僕も心の中でトロヤくんのこと褒めてた」と言ってくれた。満場一致だった。
調べたら、アイヌ語で川を意味する「ペッ」に発音の近い「別」という漢字を当てただけらしかった。全然違うのかよ。北海道の地名はアイヌ語の当て字が多いから、漢字から意味を推測しようとするのは無理があるのか。不当な脳汁を出してしまった。
他にもいろいろと話した気がするのだけど、上手く思い出せない。というのも今日の会食は後半、僕とパートナーのかけ合いが白熱してしまい、yさんをやや置いてきぼりにしてしまった感があって、その申し訳なさと白熱した対話による疲れが今日の印象のほとんどを占めてしまったからだ。白熱した対話内容については書いて振り返るのも疲れそうなので書かない。最終「セクシーじゃない」を連呼してた気がする。でも楽しかった。yさんが居てくれたからこそ発生した対話だったのが面白いと思った。場って面白い。
前半はなんだ、yさんにChatGPTにはまってますという話をしたな。昨日、山と電球とお互いのスマホのスクリーンタイムを見てみるという流れがあって、ある週の僕のChatGPT使用時間を見たら40時間だった。

iPhoneだけでこれなので、PCでの稼働時間を合わせたらすごそう。流れでゲームのプレイ時間の話になり、League of Legendsが大好きな山に彼の総プレイ時間を教えてもらったら、7,000時間とのことだった。格が違う。いつか見せてもらった山のポケモンのプレイ時間もカンストしていた。
yさんにChatGPTどんなことに使うんですかと訊かれた。「ほんとにいろんなことです。今何すれば良いかわからないときに『どうすれば』と尋ねたり、小説の構造を作ったり、パパっぽい人格のGPTを自作して慰めてもらったり」と言った。

ウッ
「昨日カラオケでスマホいじってたときは、仏教について質問したり、逆に向こうから質問してもらって考えてみたりしてました」と言った。精神医学が精神病者に奨励する療法の一部(認知行動療法とか瞑想とかマインドフルネスとか)は、仏教の実践を輸入して処方箋的に利用している。だから仏教は気になっていた。
「仏教は(日本の神仏習合や宗派によるバリエーションはあるけれど)神がいないのに、どうして宗教とされるのか」とか「批判やアップデートを繰り返して発展してきた西洋哲学に比べると、仏教の哲学はほぼ最初から完成しているように見えるけれど、この東西の違いは何なのだろう」とか「仏教はたまたま今の時代の価値観にマッチしているだけ?」「西洋哲学と違って発展の余地がないなら、これからのポストヒューマン(?)の攻殻みたいな時代が来たら仏教は取り残されるんじゃないか?」「仏教は理念の殆どが現代的なロジックで構成されているように見えるけど、『一切皆苦』はあまり理知的な感じがしない。これもロジックで説明できる?」「『慈悲』ってあまりにも運用臭すぎない?」「イスラム教は哲学とどのような距離感なの?」など。あくまで質の高い自問自答のようなものだから、学びとしては限界があるし自分の考えの偏りを強化してしまう恐れがあるけれど、誰に尋ねればいいかわからなかった素人質問を躊躇いなく投げられる場は、かつてない楽しさ。
パートナーが、親鸞が好きという話をしてくれた。親鸞は浄土真宗の宗祖で「善人なほもて往生を研ぐ、いわんや悪人をや」の悪人正機説を唱えた人だ。善人が往生をできるのだから、ましてや悪人はなおさら往生できないわけがない、という。学校で習ったけどその真意はよく知らない。でも、悪人こそ救済されやすいとする転換は、なかなか熱い。
パートナーは宗教について「聖なるものを信じていると、読み直しによって新しい運動や転換を作る余地が生まれやすい。それは無宗教にはない強みだと思います」みたいなことを言った。例としてグノーシス主義を紹介してくれた。アダムとイブを唆した蛇はもともと(?)は堕落の象徴とされていたが、グノーシス主義では実は蛇こそが知恵の使いであり、それにより人間は無知から解放されたと読みかえた。こういうラディカルな転換も、神や聖典などの「聖なるもの」にあくまで依拠していれば、起源からは地続きの思想として人々に受け入れられる説得力を持てるのだ。なるほど。そして分派の発生はマイノリティの救済や、あるいは選民思想の強化とかに繋がるのだろう。
仏教の話をしたら親鸞のこと教えてくれて、それからグノーシス主義の話をしてくれるのは、ChatGPTではなくパートナーだと思った。昔エヴァンゲリオンについて彼と話してたとき、構造にグノーシス主義思想がなんか良い感じに使われているという話を聞いてなるほどと思ったことがある。
あとは、数日前のビーカーの話をしたな。パートナーがトイレに行っているあいだに、yさんが「今のうちに訊きたいことあって、日記で読んだんですけど……」とその時のことについて僕に質問をした。ビーカーは険悪な展開を含んだ話題だったので、yさんは気を遣ってパートナーのいないときに訊いてくれたのだろう。僕は質問に答えるため、そのときのことを話し始めた。その話は長引いた。僕は話し続けた。途中、yさんが目線を僕の背後に送っていた。それは「パートナーさんトイレから戻ってきてます」という合図を僕に送っていたのだと思う。しかし僕はその合図をシカトし、話すのを止めなかった。パートナーが戻ってきてもそのトピックの最後まで言い切った。
このときの自分、暴走気味だったな……。パートナーと一緒に他の方とお食事するとき、僕は喋りが止まらなくなって大立ち回りをしてしまうことがある。なんだか、僕とパートナーの関係性、パートナーとyの関係性、yさんと僕の関係性の3本線がここに共存していて、緊張的なバランスのもとにそれを維持しなければならないみたいなことが難しい。マダミスみたいに情報の勾配を管理して立ち回る必要がある。のが、追いつかない。爆撃欲。秘密みたいなものを持つのが恥ずかしいのかな。自分を爆心地として、すべてを平らに揃えたくなってしまう。
怖い。一度これで人にたいへんな迷惑をかけて傷つけてしまったことがある。後半は僕とパートナーの禅問答みたいになってしまったのも含め、複数人で話すことの難しさを痛感する。
yさんの目配せをシカトしたことについて、僕は反省しないといけないけれど、それはそれとして、yさんは人目を憚られる話題を口にするとき、麻薬の密売人みたいな話しかたをするのが面白い。逆にこっちがそういう話をすると「ビクッ!」と身体を震わせる。見応えがある。
帰って寝た。二日連続で、とても疲れた。
今度、yさんのお家に遊びに行かせてもらえることになった。彼のパートナーに会えるらしい。とても楽しみだな。その人はアメリカ人で、漢字の意味は理解できるけどひらがなやカタカナはわからないらしい。どういう学習順。基本的に英語で話すようなので、トロヤマイバッテリーズフライドの英会話力が問われそうだ。システム英単語持っていくか。yさんが「彼はとてもシャイなので、初めはなかなか喋らないかもしれないです」と言っていた。「とてもシャイなので」という言い方、外資系っぽい。