爆散サラダ記念日
22時に起きた。リングフィットADVやった。ドラゴは昔、体が弱かった。
GoogleのNotebookLMが流行っていたので、触った。自分の情報を読み込ませたら、二人の人工音声が7分間、僕についてポッドキャストっぽく対談をした。「いただいた情報によると、トロヤさんはゲーム開発をしているんです」「はい。それも学生の頃からやっているようで、相当熱意がありますよね」「そうなんです。プログラミングは独学でっていうのが、また」「すごいですよね。代表作のDeath the Guitarというゲームは、持ち主を殺されたギターが暴走するというテーマだそうです」「持ち主を殺されたギターって(笑)相当ユニークな発想ですよね」
会話の質感に感動した。ほんとに人が喋ってるみたいだなぁ。男性の声がオモコロのヤスミノさんっぽかった。
面白くなってきて色々情報を読み込ませて試してた。が、すぐに飽きてしまった。NotebookLMは要点整理や資料作成のヘルパーとしての機能がメインのサービスなので、インプットしたデータにのみ準拠することに厳密だ。ChatGPTみたいに聞いたことのない情報を持って来たりしないし、ハルシネーションを起こすこともなかった。調声や会話の質感はすごかったけれど、いかんせん知っていることしか話さないので、読み取りデータを整頓しつつ「ユニークですよね」みたいな踏み込みのない感想を取りつけたものが生成されるだけだった。無料体験版の生成上限に達したところでやめた。
『日々は過ぎれど飯うまし』の3話を見た。主人公が、明らかに知っている電車の駅のホームにいた。見たことのあるのベンチ。見たことのある案内板。1000%京王線だ。ホームからの景色……めちゃくちゃ知っている。街を囲い込む山の裾野の脇に、なんか宗教施設っぽい塔……。ウワーこの塔! 見た記憶がある。僕はこの駅を知っている。どこだっけ……! 京王よみうりランドか、八幡山か……たぶん主人公は多分中央線ユーザーで、京王線のホームに乗り換えで入って来たということは……北野か? 僕はパートナーに「今から確認するけど、この駅は北野駅。絶対そう。違ったら切腹する」と宣言した。そしてGoogleマップで調べた。
違った。北野駅ホームはそもそも壁に囲まれていて山などは見えなかった。アー、北野じゃない、高尾じゃん! アー! 高尾駅だった。勘違いしていた。中央線と京王線が高尾山付近で交わるのは、高尾駅だった。そこまでわかってたのに、本当に勘違いしてた。クソ! クソクソクソクソクソクソクソクソクソ! 僕は脇差しを腹に突き立てながら、ストリートビューで高尾駅付近を散策した。

あった。

この仏教塔が、駅のホームからよく見えていたんだ。経済成長期に殉職した人々の遺骨を収める納骨堂らしい。
今期見てるアニメ、ゆるキャンと同じ山梨が舞台の『mono』や、町田が舞台の『宇宙人ムームー』、実際の観光地を巡る『ざつ旅』など、地域性のある作品が多くて、知ってる景色や路線をちょいちょい見かけるとアハ体験が起きるので、つい気になっちゃう。
先週、パートナーと一緒に見てた『ウィッチウォッチ』3話で、主人公たちが買い物をしていた街がなんとなく吉祥寺っぽいなと思った。でもウィッチウォッチはあんまり実在の街を参照してる印象がなかったので「ここ吉祥寺じゃね」と言えなかった。違ってたら恥ずかしいから。しかしその後主人公たちは自然公園へ移動して戦闘シーンに入ったのだが、そこには見事に「KEIO」のロゴのついた高架線があった。井の頭公園だ。やっぱりさっきの街、吉祥寺だったんだ! アアアア畜生! 買い物シーンの時点で「ここ吉祥寺じゃね」と言えてたら、高得点だったのに。パートナーに感心してもらえたのに。僕は失敗を恐れ、チャレンジしなかった。
そのときの反省もあり、今日は果敢にチャレンジした……「この駅、北野だ」と。P.A.Worksが手がけるアニメの舞台はよく実在の地域に根ざしてる印象があり、『日々は過ぎれど飯うまし』もまさにその系統だった。主人公の通う大学は東京都立大がモデルで、登校中に南大沢駅のアウトレットエリアなども見えた。それらは知ってる景色だった。
しかしチャレンジした結果、失敗に終わった。やらない後悔よりやって後悔。
ご飯食べ終わった。
今読んでる鈴木結生の小説『ゲーテはすべてを言った』に「Love does not confuse everything, but mixes. ———Goethe」という文が出てきた。主人公は紅茶のティーバッグについたタグにこの標語が刻まれているのを見かける。彼は日本のゲーテ研究のスペシャリストなのだが、ゲーテがこのような言葉を残した記憶がなく、取り憑かれたようにさまざまな文献を漁り、この標語の出典を探す、という話。
この文は主人公の感覚的に、心当たりはないけれどゲーテが言っていてもおかしくはないらしい。彼はゲーテ思想の読み解きにあたって「ジャム的」と「サラダ的」という自前の対立概念を導入している。ジャムもサラダも、様々なものを混ぜあわせたものだ。しかし、ジャムは素材をすり潰して一体とした状態なのに対して、サラダは各食材はその食材らしさを保ったまま、混ぜ合わされている。このように、世界の複雑性や多様性の総体を見るとき、そこで発生しているのはジャム的な統合なのか、サラダ的な統合なのかを見定める必要があるのではないか……だって。
ちょうどこの前、スーパーの帰り道にパートナーから、似たような話を聞かせてもらったのを思い出した。
確かなんか僕が「酒って水溶液?」みたいなことを言って(水溶液だった)、そこから発展してパートナーが、中学時代の実験の授業の思い出を話したのだ。水に食塩を入れてかき混ぜることと、水素と酸素を混合することは本質的に違うのに、理科の先生はどちらも区別せず「混ぜる」と言っていて、彼はそのことに違和感を覚えたんだって。
食塩水は水と食塩を混ぜたものだが、それはH2O分子とNaCl分子を均質にばらけさせただけであって、あくまでも水は水として、食塩は食塩として存在し続けている。『ゲーテはすべてを言った』に言わせればこれはサラダ的混合だ。一方で、水素気体と酸素気体を混ぜ合わせたとき、それらは化学反応して「水」という別物が生まれる。H2とO2は消えていなくなる。こっちはジャム的混合だ。
という話だった。「混ざり」の諸相。おもろいなー。核融合とかはどうなんだろ? ジャム的混合よりも、もっと根本的なレベルで別物が生まれる反応だ。「融合」のこと「混ぜる」と言う人はそんないないか。「融合」という語が「混合ではない」という含意で導入されてるのかも。
アメリカの多様性をかつては「人種の坩堝(るつぼ)」と言っていたが、その標語は今はタブー?らしくて、「人種のサラダボウル」と言う。るつぼはジャム的な混ぜ合わせだから、「各個性をすり潰して一つの別の(アングロサクソン系白人を主体とするであろう)何かに変えてしまう、マイノリティ迫害的なニュアンスを含んでいる」と、公民権運動のときとかに再考されたのだと思う。
「Love does not confuse everything, but mixes」の「confuse(ジャム的な混ざり)」と「mix(サラダ的な混ざり)」に、主人公はそれぞれ「混淆」と「渾然」という語を割り当ててみていた。そうして出典不明のゲーテの標語から「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」という和訳を導いた。渾然は「渾(すべ)て然(しか)り」とも読め、複雑で多様なたくさんを、各個のそれらしさを保ったままに包括する、という、いい感じのニュアンス。
理科といえば(?)『宇宙人ムームー』めっちゃ面白い。アキヒロというメインキャラクターをつけ狙うギャルの女性キャラがいて、好きだ。彼女はアキヒロと執拗にいちゃつこうとして「ねぇアキヒロ、二人で薄暗いところ行こうよ〜」と口癖のように言うのだが、図書館を一人で歩いていても「ここ、薄暗くていいわね」とか言うし、大学が停電したときも「薄暗くなった…!?」と言ってて面白すぎる。いわゆるビッチキャラクターとしての記号性を「薄暗い」という言葉で機能させるの、大発明だな。
それだけじゃなく普通に面白い。ガジェット考証要素を強めたケロロ軍曹って感じだけど、それに現代の猫ウケ要素とかコミュニケーション苦手な主人公のキャンパスラブコメ生活的な要素も盛り込まれてて、ごちゃごちゃしてて、一体なんなんだって感じなのに、しっかり面白い。コードギアスみたい。まさにサラダ的で、渾然一体としてる。あと作風なのか全体的にちょっと男性の性欲が漂ってる雰囲気があって、そこもケロロ軍曹っぽかった。漫画原作を読んでみたらめっちゃ絵が上手かった。
という感想をパートナーに話したら、「コードギアスは多様な要素は混在しつつもそれらが一つのドラマに収斂して全体感を保っていたけれど、ムームーはどこかにまとまる感じもないのに面白い」と言った。確かに……そうかも。ムームーは、一体どこを見ればいいのかわからないままだ。ただ、どこを見てもちゃんと味わいがあるんだ。これはサラダ的ですらないかも。『コードギアス』のまとまり感をサラダに喩えるなら、『宇宙人ムームー』は、爆散したサラダのインスタレーションを眺めてるみたいだ。

そして作業。エディタの脇の、この部分とても好きです。
引き続きゲーム開発をした。また7~8時間くらい。最近集中が続く。
網戸の向こうでは、雨が降ったり止んだりしてる。頭痛いな。
引き続きアクションの実装を詰めていった。

ブロックの角にガギュって当たったときに速度を殺さずに気持ちよく乗り上げてほしくて、色々頑張った。デバッグ環境の実装も並行でやっていて、速度とか状態もGUI上でプレイテストしながら確認できるから、実験→修正のループをすごくテンポよく行える。楽しい。楽しい!
しかし実験が難しい。特定のアクションを想定したコードを書いてそれを実行して試してみるとき、無意識にコード想定の動きを繰り返してしまう。いつのまにか無限ジャンプができるようになっちゃっていたことに気づいて焦った。けっこう前にコヨーテタイムを実装したせいだった。そのコードが、無限ジャンプも許容してしまう仕様になっていた。でもコヨーテタイムのコードを書くときは「コヨーテタイムをのコードを書いてるぜ〜」としか思ってないわけだから、プレイテストで無限ジャンプが封じられているかちゃんと試してみるという発想がなかったのだ。
なるべく自分が意図しない動きをしないとな。ガチャガチャ。
僕がプレイヤーとして、すでに感覚がおかしくなってきているのも感じて怖い。「慣れ」は開発者の敵。カメラの追従具合とかまだ気持ち悪いと思うし、突進の入力受付も今のままだとシビアすぎると思う。しかし僕は操作を繰り返しすぎて、そのような多少のノイズや不親切が気にならなくなってきてしまうのだ。動画に残して見返すと、触っていたときには気づかなかった違和感を見つけることができたりする。アーカイブしていこう。
日が昇って正午まで、ずっと手を動かしていた。新しい実装をしたり、ちょっと疲れたときは、コードのリファクタリングをしていた。それが休憩時間になった。リファクタリングしてるだけで楽しい。一般化に次ぐ一般化。保守性。拡張性。可読性。構造。
構造フェチ。
以前パートナーに「もっとも素晴らしい作品があるとしたら、それは何をテーマにしていますか」という質問を送ったとき、「人間」という答えが返ってきた。
僕だったら何と答えるだろう。しばらく考えた(考えてなかった)。
パートナーずっと寝室にいたから寝たと思っていたら、ずっとヴァンパイアサバイバーをやっていたらしい。人間。iPadでできるのか。
寝る。15時。この記事の日付から見ると、今は明日の15時だ。起きたらもう、明日が終わっているかも。また存在しない日の日記を書くことになりそう。
この世でもっとも素晴らしい、至高の作品。
それが表現するテーマ。
僕の答えは……
明日の日記で発表。