私生活のトポロジー
いつ寝たのかあるいは寝てないのか、ちょっと覚えてない。でも金曜ロードショーのことを今から書くということは、前日の自分と地続きなのかな?
金曜ロードショーで『君たちはどう生きるか』地上波放送やってた。一昨年のBitSummitの期間中に、京都のMOVIXで見たな。
スマホいじりながら流し見していたけれど、やっぱりどうしても素晴らしかった。

dボタンを押せと言われたので押したら「エディプスコンプレックスの罠に捕われた少年は」などと結構ざく切りのあらすじが迷いなく書かれていてちょっと驚いた。

他方でちあきは「鳥のフンが多くて面白かった」という感想を抱いていた。僕も同じこと思ってた。
『ウィッチウォッチ』の4話を見たら、風祭という苗字の天狗のキャラクターが登場していた。コミュニケーションに迷いがなくすぐに誰とでも打ち解けてしまう人物だった。良家の魔女であるヒロインを護衛することで、名声や承認欲求を満たしたいんや〜って言ってた。
僕は「風祭」という苗字が、天狗っぽいなーと気になった。小田急線の箱根方面に風祭という駅があるし、もしかしたら箱根らへんの山になにか天狗にまつわるエピソードがあったり? と思って、調べた。調べたら、風祭という地名自体はそこを治めていた武士が風祭氏だったからということしかわからなかったけれど、そもそも風祭という一般名詞があるらしいことを知った。「二百十日前後に行われる嵐を鎮めるための祭り」らしい。
二百十日(にひゃくとおか)知ってる! 東方風神録の4面ボスである射命丸文(天狗のキャラクター)が使ってくるスペルカード名だ。脳内のオタクシナプスが発火した。二百十日は台風の多い9月1日あたりを表す季節の用語らしい。日本は風害が多いから、それに対する畏れの象徴化として天狗が生まれたのだろう。

パートナーが『仙境異聞勝五郎再生記聞』という本を見せてくれた。よくわからないけれど「異聞」という語はかなり東方だな。著者の平田篤胤は倫理の教科書にも載っている人だ。何者かは覚えてない。
昔、寅吉という少年が江戸の町に急に現れ、彼は山で天狗に育てられたというので一躍人気になったらしい。平田篤胤も天狗には興味津々だったようで、彼は寅吉を養子にし、囲い込んであれこれとインタビューしまくった。この本はその取材記録らしい。
読んだらすごい質問攻めだった。

「お仕置きはされるのか」という質問。天狗達もいたずらなどした場合は、師範からお仕置きされたらしい。どのようなお仕置きなのか寅吉が言うことには「いつも打たるゝは大かた尻なり」らしい。尻をまくられたまま唾をかけられることもあるらしい。塩を噛んだ唾をかけられることもあるらしい。塩を噛んだ唾を尻にかけられることもあり、そのときは塩がしみねばり痛みて、是れほど困る事はなかったらしい。
他にも「天狗のあいだでも男色はあるのか?」という質問もされていた。寅吉は「うちの山では全くなかった。他の山は知らない」と答えていた。
ウィッチウォッチの風祭のキャラクター性をつくる(そうでもないか?)名声や承認欲求という要素も、天狗モチーフ由来かもしれない。天狗の長い鼻はプライドや傲慢さの象徴によく使われる。煩悩に囚われて道から外れた修行僧を天狗としたという説もあって、俗っぽさとか人懐っこさ、欲に忠実な感じと相性が良いのかも。関西弁で話すこともあってか、風祭を見ていると、なんだかお笑い芸人の界隈でよくある、先輩後輩間のつながりを大事にするネットワークの雰囲気を感じた。
思いついた順に書き留めていたら、突っ走ったように書いてしまった。ヤクルト1000飲んだ。
『仙境異聞』とても面白かったけれど、結局のところ、寅吉は何者。だって、天狗って、いないじゃん。エいない? ですよね? この分厚い問答集が実際の記録だということは、寅吉はずいぶん構築された超大嘘を言ったことになる。彼は覚悟の決まったホラ吹きだったのか、あるいは現代でいう統合失調症に近い妄想状態だったのか。もしくは、山奥には天狗を騙る師範を中心としたカルト的なコミュニティが実際にあって、寅吉は基本的にそこでの実体験を言っていたのかも。平田篤胤によるインタビューが誘導尋問的だった可能性もあるだろうな。いずれの真相にしても、こんな不思議な書物が残されていることがすごいと思った。
深夜3時ごろ。作業してない。何もせず疲れた。せめてリングフィットアドベンチャーか散歩のどちらかをしようと思ったけれど、どちらも気乗りがしなかった。パートナーに決めてもらった。散歩に行くことにした。夜間に散歩するのは久しぶりだな。ちょっと苦手意識があって、避けていた。
散歩行くぞと決めて、用を足すためにトイレに入ったところ、気が抜けてトイレにとても長居してしまった。トイレから出てリビングに戻ったら、パートナーに「おかえり」と言われた。トイレが長すぎて、散歩から戻ってきたと思われた。
出発したらもう朝だった。

左下に富士山

ベンチ湿ってる! 雨降ってたんだ。いつのまに。

座るけどね。精神状態が悪かったから、瞑想しようと思った。マインドフルネスアプリを開いたら、電波通じてなかった。アー、いまキャリア通信、未払いで停止されてるんだった。チクショーつらい。瞑想できねー。電波通じないから瞑想できないって怒ってる者、あまりにも悟りから遠い。





ミミズのみなさん。なんでそんないる。ここら一帯コンクリートなのに。どこから来て、どこへ行く。用事など無いくせに、まるでその方向へ向かう理由があるかのように、移動している。どういうつもり。腹が立ったけれど、家から出て用事もなく移動しているのは僕も同じだった。しかも僕は家に帰る。空疎な閉曲線。

ミミズかと思って撮ったけど木の棒だった。

まだ早朝だというのに、川沿いにはたくさんの人が移動をしていた。多くが家から出て家に戻る途中なんだろうな。
僕の前方では、おばあさんが腕を振りながら歩いていた。やがて向かいから、白い小型犬とその飼い主が来た。犬はヒャンヒャン鳴いて、おばあさんの足元に駆け寄り、おばあさんの体をしきりに舐めながら跳ねた。おばあさんは「あらまあ、ありがとう!」と反応した。お礼を言う例をはじめて見た。いいな。僕も散歩犬からちょっかいをかけらるゝのはうれしい寄りだけど、そのことでお礼を言ったことはなかったな。今度から言ってみようかな。
飼い主って、散歩犬が通行人にちょっかいかけることに対してどのような気持ちを持っているんだろう。苦手な人も多いし、基本的にはごめんベースなんだろうか? 日本の社会通念的に。自分の肩がぶつかるのと同じ気持ちで「私の散歩行為によって、ご迷惑をおかけしています。すみません…」と思っているのかな。それとも、ある程度犬の自律性を認めて「うちの犬が、ご迷惑をおかけしています。犬に代わってすみません…」と思っているのかな。
だが僕みたいに喜ぶ人もいるし、子供が駆け寄って「触っていいですか」と飼い主に尋ねることもある。そんな場面では飼い主は「すみません」とは思っていないだろう。「通行人に、犬を提供しています。良いことをしていい気分」と思っているのか、それとも「うちの犬に、通行人を提供しています。いい気分」なのか。もしくは「うちの犬に迷惑をかけるな。やめろ」なのか。
不思議な感じだ。通行人が飼い主に「触っていいですか?」と尋ねるのも、変だ。飼い主が「いいですよ」と言うのも、どう「いい」のか。トレーニングをしている人が、上腕二頭筋を触らせるようなものかな。
道義的に完全フラットで、本当に何も思っていない人もいるのかな。「うちの犬が通行人に反応を示し、はたらきかけているなぁ。現象だなぁ」みたいなスタンスだったらどうしよう。
おばあさんとの触れあいが終わって、その白い犬と飼い主は、次に僕とすれ違った。犬は僕に対して何の反応も見せず、素通りした。そんな。電波も通じない人間は、犬からも無視されるのか? 僕は相対的なマイナスを感じた。「オーウワ、ありがとー」とか言いたかった。というか犬触りたかった……。

濁りすぎだろ

帰宅した。結局今日はどうすればいいのかわからなかった。パートナーも睡眠リズムを逸したようで、眠れなくなっていた。ベッドの上で、iPadで難しい英語の学術書を読み「いつもならこういう難しいの読んでれば寝落ちできるんだけど……」と言って困っていた。このままだと彼がどんどん賢くなっちゃう。
その本はパースの著書で、四色定理やトポロジーのことが書いてあった。それで僕は思い出して「球を裏返す動画知ってる? あれ見たらいいよ」と提案した。パートナーは知らないようだったのでiPadで流してもらった。ニコニコ動画でやけに人気だった。
見せてたら、パートナーは寝落ちした。眠れない子の寝かしつけには、球を裏返す動画を見せるといいかもです。
僕もまもなく寝る。
今日何もできなかった。