アタル

2025 - 05 - 11

11時に起きた。亡くなった園長の告別式のスピーチ役を、カシオ(ハウスの出身者。最近家に上がり込んできた)に代わって僕が探すことになった。どう考えても早めにやらないとまずい用だったけど、なんだかんだだらだらして、ようやく今日の17時に家を出た。カシオに他の候補者のあてを訪ねたら、二人ぶんの住所を教えてもらった。とりあえず近い方の住所を訪ねた。

そこは年季の入った三階建てマンション?アパート?で、候補者は202号室に住んでいるらしかった。インターフォンを押したが音が鳴らなかった。すいませーんと言いながら玄関扉を叩いてみたら、素材的に「ゴンゴン」みたいな音が鳴ると思っていたのに「モンモン」とのっぺりした音が鳴って、変だなと思った。ドアノブをひねった。鍵がかかってなさそうだった。僕は玄関扉を開けてみようと思い、ノブを引いた。

するとすぐさま、わずかに扉を開けたところで「ゴコッ!」と首を絞められた男の悲鳴みたいな音が響いてびびった。扉の隙間から玄関内を覗いてみると、男が本当に首を絞められていた!? エ!? 僕は脊髄反射で玄関扉を閉めた。扉越しに、うめき声が聞こえた。

アタル「ゴホッァ、アッ!」

トロヤ「すいません! 大丈夫ですか!?」

アタル「エヘン! アヘン!」

トロヤ「アタルさんですか?」

アタル「コッ、、ケン! ケン!」

トロヤ「大丈夫ですか?」

アタル「……くそ! クソ! なんで! なんで途中で閉めた! クソ!」

トロヤ「勘違いだったらすみません。あの、自殺しようとしてた?」

アタル「うん。そして失敗した」

トロヤ「ずっと扉にもたれてたんですね? それで誰かが扉を開けたら、ピタゴラスイッチみたいにあなたの首が絞まるような仕組みを作って……」

アタル「何の用ですか」

トロヤ「何の用ですかって。いやあの、ハウスの園長の件で……」

僕は扉越しにトロヤですと名乗り、アタルというその住人に事情を話した。

トロヤ「それでアタルさんによかったら、告別式でハウス出身者代表として、スピーチをしてくれませんかって頼みに来たんですけど……この感じだと、ちょっと厳しい、ですかね……?」

アタル「そうだね……他をあたっていただけると」

トロヤ「いつからそうしてるんですか? その、自殺の準備状態みたいな……」

アタル「一時間くらい前からかな」

トロヤ「あっ意外と」

アタル「いや、べつに今日始めたわけじゃないから。昨日は起きてから寝るまでずっとこうしてたし。一昨日も」

トロヤ「じゃあ昨日や一昨日に誰か別の人が訪ねてこの玄関扉を開けてたら、今ごろアタルさんはもう死んでたってことですか?」

アタル「そのつもりだったけど……さっきの失敗ぶりを見るに、この仕組みじゃちょっと死ねないのかもしれない」

トロヤ「どうして死にたいんですか? 死にたい、んですよね?」

アタル「死にたい」

トロヤ「すみません、ドア越しだと喋りづらいので、いったん中に入れてもらえませんか? こっち声響くし、お隣の人に聞こえるかもしれないから」

アタル「もう俺と喋ることなんてないでしょ。スピーチなんてやれないよ。やらない。だからトロヤさんと話すことはもうない。帰ってくれ」

トロヤ「いやちょっとあの、もうちょっと話したいです。アタルさんと。だから一旦入れてほしいです」

アタル「そうやって話を長引かせて、俺が死ぬのを防ごうとしてるんでしょ。無駄だよ。家に入るためにはこの玄関扉を開けないといけないけれど、これを開けると俺の首が絞まるからな」

トロヤ「だからその仕組みを解除してって言ってるんですよ。仰る通り、アタルさんの自殺を止めようとしてるんですよ。今僕、自分の言動ひとつひとつが人の命を左右しかねないんだって、頭フル回転してるんです。とにかくあの、中に入れてくれますか? 入れてくれなかったら通報しますよ。とりあえず今、よかったら僕と話しましょうよ。話させてくれませんか。僕の気持ちの話で申し訳ないんですけど、僕は今、あなたのことすごく心配してるけれど、同時に若干むかついてもいるんですよ。だって、あなたのそのまわりくどい自殺ギミックのせいで、あとちょっとで殺人犯になってたんだぞ」

アタル「それは、本当に申し訳ないと思ってる。ごめん」

トロヤ「いや別に謝ってほしいとかじゃなく……気にしないで欲しいんですけど、ほんとに、すみません。僕はただ、アタルさんがなんでこんなやりかたで死のうとしたのかが気になったんです……中に入れていただくのが今ちょっと難しければ、このままドア越しでも大丈夫です。話してもらってもいいですか?」

アタル「……わかりやすいやりかたじゃ死ねなかったんだよ。『死にたい』って頭の中で念じることと、実際に死ぬことはさ、全然別ものなんだ。俺は『死にたい』ってずっと思っていたけれど、具体的に自殺を実行しようとすると、どこかで必ず挫折してしまったんだ。別に俺は落下して地面にたたきつけられたいわけでも、首輪に吊られたいわけでも、水中で窒息したいわけでもない。どれも死ぬほど怖い。怖かった。正確には『死にたい』じゃなくて、『生きるのをやめたい』だったんだな。こんな絶望的な状況ってないよ。生きることをやめるのにちょうどいい手段が、この世には全然用意されてないことに気づいたんだ。人体なんて呼吸を防いでしまえばあっという間のはずなのに……息を止めるなんて、通勤電車の中でだってやれる……何百回とチャレンジした。でも無理なんだよ。必ずどこかでストッパーがはたらく。俺を現世に磔にする、仕組みみたいなのがあるんだ」

トロヤ「アーわかります。わかるとか言っちゃだめか。すみませんあの、仰ってることはわかる?と思います。続けてもらっていいですか」

アタル「それでしばらく考えて、原始的な自殺方法は、俺自身の認識や行為が、死という現象と近すぎるのが問題だと思ったんだ。自分で引き金を引いて頭を撃ち抜くのは怖い。でも、銃の引き金を引くからくりみたいなのがあって、俺はそのからくりを起動するボタンを押すだけだったら……そっちのほうが少しは抵抗感が減るだろ? 死という現象が遠景化して、自分の行為のもたらす結果がぼやけるんだ。だったらこれをどんどん複雑化していけばさ、俺は今度こそ、自分を『殺す』ことなく『生きるのをやめる』ことができるんじゃないか?」

トロヤ「風吹けば桶屋が儲かる、みたいな」

アタル「風吹けば桶屋が儲かるみたいに、誰かが俺の家を訪ねたら自動的に俺の首が絞まる、っていう仕組み。それを試していたんだ。他にもいくつかアイデアは考えたけど、近くのホームセンターに売ってる器具ですぐに試せそうなのがこの方法だったから」

トロヤ「そうなんですね」

アタル「うん」

トロヤ「……」

アタル「……」

トロヤ「次は、じゃー、えー」

アタル「……」

トロヤ「どうして、死にたいと思われてるんですか? アタルさんは」

アタル「今、話題探しただろ」

トロヤ「頭が真っ白なんですよ。最初『他に思いついた自殺方法はどんなアイデアなんですか?』と質問しそうになっちゃって。でもすぐに、今はこんなのんきな質問していい場面じゃないだろって冷静になって、そういう脳内検閲が入ったために若干遅延しました。普通に自殺未遂の現場に遭遇するのとか初めてだし、僕、身近な人の死を経験したことが無いからかわかんないんですけど、あんまりピンとこないんです。死ってのが。これも風吹けば桶屋が儲かるみたいなことなのか、誰かの死という現象が、僕の恐怖や悲しみなどといった感情に接続するプロセスに、結構段階が挟まっているようで。そんでもって、僕は恐怖とか悲しみを感じたあと、それを苦痛? 要は避けるべきもの、とみなすプロセスにですかね、そこにも段階があるみたいなんです。そういうのもあって、状況にあまり切迫できないんですよ。心のどこかで、どうせ死ぬわけないだろって―――あ、アタルさんがってことじゃなくて、一般論的にってことですね―――思ってしまっている節があるんです」

アタル「そんなことを言えるのは、死を知らないからだよ」

トロヤ「そうなんですよね。そう。実際、知り合いの知り合いとかで自殺した話とか聞くようになったから。本当に、自殺じゃなくてもいいけれど、人の死というのは急に訪れるもので、それは周りの人々の人生の質をまるきり変えてしまうような大きなエピソードになるんだと思ってるんです……でもまじで知らないので、『思ってる』止まりなんです。それが僕、コンプレックスでもあるんですよね。つい最近見た映画で、家族が亡くなった事実に泣きはらしていた人がいましたけれど『このシーン、僕が死の痛みを知っていたらもっと切実に感じられただろうな……』って勝手にもったいないような気持ちになってしまいました。今も僕、アタルさんが自殺するのをやめてもらう方向で、どうはたらきかけるべきか考えてますけど、これもなんだか擬態じみた行為というか、我ながら嘘くさいことしてるなーって思ってて」

アタル「……」

トロヤ「すみません。僕ばかり話してしまいました。何の話でしたっけ? ん? あれ? アタルさん? そこいます? 聞こえてますか?」

アタル「いる。俺も反応に困ってる」

トロヤ「よかった。ウワ―。心臓が止まりそうになりました。もし今の自分語りの隙にアタルさんが亡くなってたら、僕、一生自分を責め続けたかも」

アタル「一瞬本当に死んでやろうかと思った」

トロヤ「本当にすみません。たぶんきっと、あとほんのちょっと語りが長かったり、状況が状況だったら本当に死んでましたよね。僕本当にもっとその辺の想像を鍛えないといけないと思ってるんですけど、いや違う、違う、僕の話はいいんですよ。ごめんなさい、無視してください。でも話はもうちょっと続けさせてください。いいですか? アタルさん、いますか? そこに」

アタル「……」

トロヤ「いますよね」

アタル「君、『身近な人の死を経験したことがない』って言うけど」

トロヤ「……」

アタル「最近死んだだろ。園長」

トロヤ「あ」

アタル「『どうして死にたい?』なんて質問、訊いてくるような奴には何を言っても伝わらない。思考基盤がそもそも大違いだ。そういう奴らの脳はまるでドラマみたいに単純で、『死にたいと口にするような奴にはきっと、死にたいと思うに至ったわかりやすい理由があるんだ』と思っていて、それは過去と向き合うとか己の心に正直になるとかで、上手い具合に解きほぐせるものだと思ってるんだよ。問題には、絶対その解決方法と成果がセットだって思い込んでる。やることやれば明るい人生を取り戻せると思い込んでるんだ。そうやって課題解決してきた成功体験が前提にあるんだろうな。『あなたのこと心配しています』というふうな酔いしれた顔で、まるで俺の苦しみを知恵の輪みたいに解こうとしてくるんだ……。俺がこうやって首を括り始めたのは、園長が死んだことを知ったからだよ!」

トロヤ「すみません」

アタル「でも言っておくけど、園長が死んだことが原因の”心の傷”とやらを解消すれば俺は自殺を止めるかと言ったら全然そうじゃない。俺はもっとずっと前、20年以上前から死にたいと思ってる。死ぬ方法を考え続けてる。いじめも受けた。失恋もした。受験も落ちた。仕事も上手くいかなかった。借金もしてる。いじめは詳しく説明したら『それはいじめとは言わない』って言われるようなよくわかんないやつだったけど、そこはどうでもいい。言いたいのは、たとえ今言ったことを全部”片づけ”ても、残るのは『生まれてきてよかった』と笑顔の俺なんかじゃない。具体的な悩みは一切消え去ったにもかかわらず、相変わらず死にたいままの俺なんだよ。わからないだろ。つまりだから要するに、俺が、何が言いたいかっていうと、死にたい理由なんて訊かれても困るってことだよ! 埃みたいな”死にたい理由”が絶え間なく降り積もって出来てるもんで、それを因数分解して説明するなんて頼まれても無理なんだ。『あんたがそんな質問をするからだ』って答えれば満足か?」

トロヤ「……告別式のスピーチやってみませんか?」

アタル「……」

トロヤ「たぶんアタルさん、カシオさんとか僕よりずっとはるかに、園長に対してアレ、ありますよね? 書けることたくさんありますよね? 良くも悪くもだと思うけれど……。きっとハウス出身者の中で、一番中身のある台本を書けます」

アタル「……」

トロヤ「コンディションとかあると思うので、告別式に来るのは厳しいと思いますけれど……原稿だけ書いてもらえたら、会場では僕が代わりに読みます」

アタル「めちゃくちゃだ」

トロヤ「アタルさんが書いた内容を、そのまま読みます。どれだけ告別式にふさわしくない内容でも、他の人たちがどんな反応を示しても、僕は最後まで読み切りますよ。告発的な内容でもいいし、なんなら遺書として書いてもらってもいいです。追悼メッセージが遺言なのってすごい類を見ないけど、まあそういうのがあってもいいと思います。如何にせよ、アタルさんが園長にメッセージを送るのが、僕は一番ふさわしいと思います。自力で書くのがきつければ、手伝います。ヒアリングしながら僕が書いてもいいし、なんだかんだ僕の考えた文章がほとんど全部みたいになっちゃったりしても、それはそれでいいと思います。告別式の仕組みがよくわからないけど、もし事前に検閲とかされるっぽい雰囲気だったら、ダミーの原稿を用意しておいて、本番ですり替えるので」

アタル「テロ行為じゃんか。そんなの迷惑だろ。カシオにも。ハウスにいる大勢の人にも」

トロヤ「そりゃ迷惑ではあるが、逮捕されることはないですよね? カシオさんがスピーチ代役探しの仕事を僕に投げた以上、もう僕の管轄なので、カシオさんがどう困ろうと好き勝手やります。めちゃくちゃ怒られるかもだけど、まぁ怒られ止まりでしょ。ハウスだって別に反社会組織じゃないんだから、あとでぶちのめされたりはしないだろうし、行けますよ。さすがに超個人的な誹謗中傷が内容にあったら、すみません僕の独断でそこだけ濁したりする可能性はあるかもなんですが……とにかくなるべく最大限、アタルさんの思いを綴ったメッセージを、そのまま言うつもりです、アタルさんの言葉こそが、園長に送られるべきなんです」

アタル「……」

トロヤ「考えてみてもらえたりします?」

アタル「断る。俺は関わりたくない。今さらハウスなんかに。俺が園長に思いを綴って、俺のことを全然知らない人も大勢いる会場で、それを公開して、一体何になるんだよ?」

トロヤ「書くことはできるってことですか?」

アタル「死ね」

トロヤ「……」

アタル「面白そうって思ってるだろ。トロヤくん。さも寄り添うような振りをして、僕は他の人とは違うんです、安っぽい共感はしないんです、みたいな、そういう態度の自分に酔いしれてるんだろ。気色悪い。お前が俺に台本を書かせようと思いついた瞬間が、閃いた瞬間が、吐きそうなほど気持ち悪い。自殺未遂者を利用して、面白おかしく社会に一矢報いてやろうみたいなシナリオを滔々としゃべり続けてさ、楽しくて仕方なかったんだろ。お前そういうのが生き甲斐なんだろ」

トロヤ「酔いしれてはいないです」

アタル「トロヤくんさ、頼むから、いっぺん痛い目を見てくれないか。それからじゃなきゃ、俺は君の話を聞く気になれない。面白がってる、俺のこと。そしてそれも、面白がってしまう自分が欺瞞的に見えちゃって嫌なんです~みたいにさ、先回りで自己開示して正当化して、強引に状況を作ろうとしてるんだ。お前はそれで生きていられる状況だからな。恵まれてるからな」

トロヤ「そ、」

アタル「帰れ。お願いだから俺の人生に関わらないでくれ……ハハ、今日明日の命だと思ってたけど、人生とか言っちゃったな。こんな終盤でまた新鮮に傷つくことになるとは思わなかった。お前ほど胸糞の悪い人間はいない。君を突き動かすのが親切心だろうと、ただスピーチ仕事を押しつけたいっていう利害心だろうと、それとも俺を駒にして面白い状況を作りたいっていうエンタメ精神だろうと、関係ない。自己欺瞞を自覚してようといなかろうと、関係ない。酔いしれていようといなかろうと関係ない。君の気持ちは一切関係ないんだ。ただ、君が俺に対しておよぼす作用は、全部俺を傷つける。俺は君という人間を、個人的に受けつけないんだ。良い人間か悪い人間かとか、正しいとか誤解してるとかじゃない、受けつけられないんだ。君が何者であろうと、やることなすことそれは俺を傷つけるんだ。悪い方向に持っていくんだ。頼むからいなくなれ」

トロヤ「僕だって、痛い目を見てます」

アタル「納得はしなくていい。結果的にバッドエンドになってもいい。頼むから俺に、その権利を認めてくれ。君の声を二度と聞かない権利を認めてくれ。今後一切、俺の人生に君という存在が出てこない、その権利を、俺にくれよ」