人間テスト

2025 - 06 - 09

7時に目覚めた。どうしてこんな、ビジネスパーソンみたいな時間に起きてしまう。

葬送のフリーレンを見ていたら、魔法使い認定試験みたいなパートが始まった。なんだか愛着の持ちづらい量感のキャラクターがわらわら出てきて、嫌になった。

一級魔法使い認定試験の合格率はひじょうに低く、死者も出るらしい。「死者も出る」で『鬼滅の刃』のことを思い出した。鬼滅の刃でも、序盤に炭治郎が鬼殺隊に入るため、選抜試験みたいなのを受けていた。その試験の最終課題が、人為的に鬼を配置した区画内で、一定期間生き延びるというものだった。生き延びれば合格で、死んだら死ぬ。炭治郎の受けた代では、20名中5名しか生き残らなかった。

それが印象に残っていた。どうしてそんなことするのと思ったからだ。志望者を殺してしまったら、元も子もない。人類は鬼を倒せる人材を求めているのに、「最終選別で死んでしまうなら、せいぜいそこまでの実力だったということだ」という言い草で芽を摘んでしまうのはおかしくないか。わざわざ人工的にセッティングした環境で人的リソースを無駄にするくらいなら、せめて鬼のいる現場に実戦投入してあげて、そこで命を賭けさせるほうが、よくない?

倫理的にどうこうというより、制度としてそれがまかり通る必然性がよくわからなかった。無限列車までしか見ていないから、のちの展開で無理のない設定が明らかになっているのかもしれない。

フリーレンが受けた魔法使い認定試験も、対人攻撃し放題で、死者の出る試験だった。けれどそれは作中でも批判されていて、「協会の保守派の意図で、過酷な試練を置くことで魔法使いという役職の権威を守りたいからだ」という説明がなされていた。中世ファンタジーっぽい世界だから、そのくらい人命が軽視されていても、さほど違和感はない。騎士道精神的な。

バトル漫画で試験パート(あるいは、本来は異形と戦う役職の者たちが、何かしの事情でお互いに潰し合うパート)ってよくあるよなと思って、GeminiのDeep Researchを使って、そういうパートのある漫画を比較して、各作品のそれを作中世界の倫理観に照らして制度的な必然性があるかどうか考察してもらったりしてみた。『約束のネバーランド』は訳が違うだろ。

↑のGeminiのまとめかたでは、『HUNTER×HUNTER』のハンター試験と『呪術廻戦』の京都姉妹校交流会がとりわけ「制度的必然性の瑕疵が大きい」と評価されていた。それは自分の気にしている観点と違う。

ハンター試験は、ハンターという肩書がそもそも人命よりロマンを重視する物好きのためのライセンスみたいなものだし、ライセンスを売却して大金を狙うみたいな動機で参加する者もいるため、もともと破綻したシステムとして描かれている。

呪術廻戦の姉妹校交流会のほうはたしか、殺しちゃダメってルールがちゃんとあって、講師陣もちゃんと(?)監視していた気がする。裏で虎杖を殺害するという策略がめぐっていたけれど、それは交流会という制度の瑕疵ではない。僕としてはどちらも鬼殺隊最終選別に比べるとよっぽど無理がないと思う。

とはいえ、ふだん人類の平和を守るために戦っていた若者たちが、突然文化祭みたいなノリでお互いを攻撃し合う展開はどうしても苦手だな。傷つけあっていて悲しいし、そんなことしてる場合じゃないだろと思う。あとやはり連載漫画としての都合が感じられる。

↑に挙がった漫画のなかで個人的に気になったのは、NARUTOの中忍試験だ。死者、出るらしい。Geminiのあらすじ説明によると、中忍試験は、若い忍びたちの認定試験という建前を利用した各忍びの里間の代理戦争になっているらしい。NARUTO、読んだことも見たこともないな。忍びって何してるんだろう。

気になって、Netflixで中忍試験編を見た。筆記試験、一部の者のカンニング方法面白すぎる。テンテンのやつはミーム画像としてしばしば流れてきたな。大蛇丸こわ。NARUTO世界の忍びは、皆おでこに自分が所属する里のロゴマークを入れているんだな。なんかⅰモードみたいなマークの奴らいる? ⅰモードの里の忍び?

23時。今日まったく作業できなかった。何をしたかといえばナルト見てた。自己嫌悪の構え。

昨日ダーウィンが来たでチーターの特集やってた。チーターはサバンナの肉食動物の中でも狩りの成功率が40〜50%と高い。その代わりに、餌とする草食動物がそんなにいないエリアで行動する。餌の多い場所では、他の肉食動物とかち合うからだ。チーターは走るのが速いけれども力が弱いため、競合の多いところだとハイエナやハゲワシなどに餌を横取りされたり、子供を襲われたりしてしまうのだ。

あと、チーターは特定の地形に隠れて生活したりしない。ひげじいが「なんで?」と訊いたところ、岩山はライオンのテリトリーになっているし、木の上は木登り得意なヒョウに支配されているからだそうだ。「〜から」というより、まあサバンナの各地形に最適化して進化した種がそれぞれいて、そのどれでもない種としてチーターがいてるということだろう。根城を持たないチーターは、サバンナの比較的閑散としたエリアを、ロードムービーっぽく旅しながら生きるのだ。

フリーレンの魔法使い認定試験でも、シュティレを直接捕獲しようとするフリーレンたちのような班と、すでにシュティレを捕獲した他の班を襲撃して奪おうとするデンケンたちのような班に分かれていたな。あれは(作中でも指摘されてたけど)試験のルールが後者のような対人攻撃的なアプローチを促すようにできているから、やはり制度側が胸糞悪い。

ダーウィンの映像を見て強く感じたけれど、ハイエナって見た目のヴィラン感がすごい。腐肉食動物と分類される死体を食べる動物は、食べ残しを漁ったり、他の捕食者から横取りしたりする。ハイエナの他には、ハゲワシ、ハシブトガラス、クロスズメバチ、ウジなど。やっていることが(人間の社会規範のアナロジーで)悪どいために印象として悪く感じるのはわかるのだけれど、ビジュアルを一見するだけでワルだと感じるのは不思議だ。この感覚も、アナロジーの延長で人間社会から刷り込まれたものなのかな。それとも、人類も昔はハイエナからご飯を奪われていたために、本能で拒否してたりするんだろうか。

僕ってなんで、くそ、

クソクソクソクソ。

なんでとかじゃない。

“そのどれでもない種”として、僕がいてるだけなんだ。

因果に甘えるな。