セーヌ川のランウェイで前転
『パルプフィクション』を観た。2年前に一度観たけどもう一度観た。前観たときの感想を覚えていない。今日見た感想としては面白いと思った。銃が暴発して車内が血だらけになってしまったのを、1時間以内に掃除しなければならないとか。群像劇として一つ一つ細かなドラマはあるけど、それぞれに明確な方向性が無い。メッセージの取り出しようもない、教訓の無い奇妙なできごと。こういうのでいいんだよな。物語から何か身になることを得ようとするなどおこがましいとは思わんかね。
あとは寝てた。
あ、嘘。眠れなくて、パリオリンピックの開会式を観てたんだった。深夜2時くらいから早朝6時くらいまでやっていた。
レディー・ガガが歌ったり、マリーアントワネットの生首が歌ったり、ミニオンが潜水艦を爆発させたり、パリコレ式のランウェイの上で青い全裸の人が皿の上に乗っていたり、セリーヌ・ディオンが歌ったりしていた。バッハ会長の挨拶の長さをいじるという定番のミームがあるが、今年は7分くらいで短かった。
最初から最後まで観た。今年はセーヌ川をくだる形で開会式のパフォーマンスが行われ、選手団も船に乗って入場するのだが、そのシステムがすごくいいと思った。というのも、選手たちが船に乗っている時間が長いためにいつでも映せるので、数か国紹介して映像観て、また数か国紹介してダンスして…と、参加国の紹介とパフォーマンスを同時並行で行っていたのだ。例年は最初のギリシャから最後の次回開催国まで、すべての参加国を一気に紹介していた。その場面は結構観るのがしんどい印象があった。無数の選手が入場してくる道の周りを列になったパフォーマーの人たちが楽しげなダンスで彩るのだが、終盤は明らかに省エネな動きをしていたのを覚えている。その点今年は参加国の紹介が小出しに行われていたので、飽きることがなかった。
ダンスしてえな~。開会式のパフォーマンスを見て思った。ここ数年、身体表現に対する興味が高まっている。ダンス教室に通いたい。僕の身体はまだ可動域の10%しか使われていない気がする。それはもったいない。みなさんがあっと驚くような関節のねじ曲がりをお見せしたい。様々な暗黙の制約によって「人間」が規定されているが、身体の動きはその最たるものだ。両腕を目一杯振って駆け回っていた子供たちも、大人になるにつれて走る機会は減っていく。全裸になって公園で前転することはいつだって可能なのに、ほとんどの人はそれをやらない。僕は小学生の頃チック症があって、いつも発作のように首を縦に振っていた。いつの間にかおさまっていた。そのことが悲しいとは思わないけど、可動域が減ったな、とは思う。無意識に人間らしい、成人らしい、男性らしい、日本人らしい身体の動かし方をインストールしてしまった。ダンスしてえな~。ダンスは社会の要請による身体の規格化に対する抵抗運動だ。
あとは寝てた。
あ、嘘だ。このまま寝ずに次の日が始まった。