囚人番号9:器物破損並びに

2025 - 06 - 23

15時に起きたけど歯医者に行きたくなさすぎて15:40まで布団で粘った。15:50に出て自転車を漕いだ。

歯医者さんに到着した。今日の治療は前歯根管治療の本番ではなく、来る本番での出血量を減らすため、あらかじめ患部の血や膿を取り除き、抗生剤を塗布しておくというものだった。

歯茎に麻酔を入れられて、掘られていった。「痛かったら遠慮なく言ってくださいね」

しばらくしたら痒みと強く圧迫される感覚とともに痛みが広がっていった。「痛!す」「痛いか。深いところはちょっとね麻酔が届いてないみたいですね……じゃあ麻酔足しますね」

麻酔針が刺された。「イ,ア,ア,ア,ア,ア,」「ちょっと我慢してねー……ハイ、じゃあうがいしてしばらく待ってください」

前の手術と同じだった。歯茎の深くまで掘る場合、麻酔の効いていないエリアにぶつかるので、痛みを感じては麻酔を注ぎ足すことを繰り返した。でもその麻酔注射の痛みが毎回見過ごせなかった。

「これ痛い?」「イアクアイエヒ」「わかりました。じゃあ進めていきます……いつでも遠慮なくね」「アッ」「痛いか」「DDDDDDD」「ごめんね。じゃあまた、麻酔足しますね」

「どう? これ痛い?」「イアクアイエヒ」「あ、ほんと。これねもう膿の部分届いてますよ」「アァ…」

終わった。痛かったけれど、辛くはなかった。回を重ねるにつれ、心の耐性がついてきたかもしれない。「次回は本格的に切開するので、今日よりも痛みはちょっとね激しくなるかもしれません」と言われた。ヅ!

自転車を漕ぐ帰り道、後輪から甲高い摩擦音が鳴り出した。今度は何。しばらくは気にせず走行していたけれど、途中から音が無視できないほどに大きく強くなってきた。

うっせぇうっせぇうっせぇわ

原因を確かめようとした。後輪のブレーキシューが、ブレーキを引いてなくてもつねにリムと擦れてしまう位置に来ているようだった。なんで。

六角レンチがないとすぐには直せなさそうだったので、いったんこのままの状態で家に帰るしかなかった。でも後輪を転がすとさっきの異音がこの辺の団地一帯にこだましてうるさすぎるので、僕は仕方なく自転車のサドルを持ち上げて、後輪を浮かしながら押して歩いた。

家まであと半分くらいのところまで押して歩いたけれど、力尽きた。変な公園のベンチに腰かけて休んだ。自分の力ではどうしようもなかったので、パートナーに助けを求めることにした。僕は自転車をそのへんに生えてた木の幹にくくりつけて、歩いて帰宅した。

帰ったらパートナーがFF7リバースをしていた。僕は彼に事情を話した。パートナーは「エー!?」とショックを受けていた。ブレーキのパーツをいじればどうにかなりそうなので、六角レンチやプラスドライバーなどの工具を持って、先ほど駐輪した公園まで一緒に来てくれる? とお願いした。パートナーは工具を取りに寝室に行った。

二人で公園まで歩いた。結構歩く。家がたくさんある。麻酔の効果が切れたのか歯の治療した部位が痛痒くなってきて、雲も垂れこめてきた。

公園に到着した。公園では、さっきはいなかった犬と飼い主たちがたくさん集まって、コミュニケーションに興じていた。僕はパートナーに自転車を見せ、彼に状態を伝えるために、一度自転車を漕いで、先ほどの甲高い異音を鳴らしてみせた。犬たちが反応して暴れだした。彼は「困っちゃったねー」と言った。ひとまず、家から持ってきた工具で修理を試してみた。

パートナーが「ああっ!」と叫んだ。持ってきた六角レンチのサイズが合わなくて入らなかったようだった。六角レンチのサイズ合わないこと前もあったな。彼は「しまったぁ! ク〜!」と言って頭を抱えた。「小さいサイズのはないの?」「家にはあったんだけど、それだけ持ってこなかった。しまったぁーそれ以外の工具は全部持ってきたのに」「悔しいね…」「悔しい。しまったぁー。クッソ〜同じサイズの(六角レンチ)はもう一本あるのに」

直らなかったので、結局壊れた僕の自転車は自宅まで持っていくしかなくなった。後輪が回らないように持ちあげて運ぶ必要があった。帰り道は直した自転車を漕いで戻ることを想定していたせいで、パートナーの自転車を公園まで持ってきてしまっていた。だから、僕の自転車を二人で運ぶことができなかった。ありがたいことにパートナーが僕の自転車を持ってくれた。僕は代わりにパートナーの自転車を押して歩いた。

パートナーはさまざまな持ちあげかたを試しながら、僕の自転車をずっと運んでくれた。交代するか?と訊ねても「大丈夫」と言われた。汗ぽたぽたさせながら、表情はずっと固まっていた。あとで聞いたけれど、買ったばかりの自転車がもう壊れたことに、彼はとても精神ダメージを受けていたらしい。「買ったばかりなのに壊れてショック。[自転車屋]許さない」と言っていた。

長い歩き道の途中、パートナーが立ち止まってウーウーと呻いた。どうしたのかと思ったら、肩の上に持ち上げた自転車の前輪が重力で傾いて、それによってできたハンドルとフレームの狭い隙間に中国の少年みたいに頭が挟まって戻らなくなってしまっていたようだった。彼の顔が鬱血でみるみる赤くなってきていた。自転車に絞め殺されそうになっているの。「大丈夫!?」と訊くと彼は「苦しー」と言った。僕は救助した。彼は「ウーン。ありがと」と言って、何事もなかったかのように歩き始めた。本当に大丈夫、代わるぞ、と言っても「大丈夫」と言われた。たまにあるレスポンスの悪い状態のようだった。やっぱり余裕がなかったのかな。

帰宅。

もう暗いので、自転車は明日見ることにした。YouTubeで摩擦音の直しかたなどについて調べた。パートナーに「今日はありがとう」と言った。彼は小さいサイズの六角レンチを出して、大きなご飯食べたのち、寝た。

僕は、彼がこんなにショックを受けていたことが意外でちょっと驚いた。僕はあまり深刻にとらえていなかった。どうせ直せば直るんじゃないのと楽観視して「自転車が楽器になっちゃった〜」とか言ってへらへらしちゃっていた。でもこの自転車は、彼が金を出して僕に買ってくれたものだった。贈り物だ。彼の気持ちを考えると、そこに関して僕は誠実さが足りなかったかもしれない。人に贈ったものが早々に壊れてしまったとき、贈った相手が動揺もせずワハハみたいな顔してたら、たしかに不愉快だろう。

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こういう要所で胸を痛められないのが、なんか自分の、何、人間的に欠けてるところだなぁと思う。自分の持ち物が知らぬ間に壊れたり失くなっていたり(「知らぬ間に」という認識が、審議)みたいな経験が人生でありすぎて(このような開き直りの態度も、審議)、それがスタンダードな感覚になっていた。

でもそのように、器物に対して「別に」というスタンスでいることは、精神的な防御の構えでしかない。物質的にはなんもカバーできてない。損しているばかりだ。日ごろから大事にできていないだけ僕は物をぶっ壊しており、紛失しており、その埋め合わせに人よりも余分に金や時間がかかってる。

問題は、問題じゃないけど問題ってことにするけれど、僕が個人的に損してるだけじゃないということだ。僕は周りの人たちからものすごく助けてもらっているんだ。失くしたAppleペンシルや割れたマウスピースの新調代は祖母に代わりに払ってもらった。引っ越すときに机が邪魔で捨てたけれど、引っ越し後にやっぱり欲しくなったとき、祖母が自分の机を譲ってくれた。そのように。パートナーからだって、壊れた自転車のライト代や、AirPodsや、というか、なにもかも。

なにもかもだ。周りの優しさや厚意に頼ってばかりで、僕はようやく生きてこれているのに、生きてこれたそんな僕なのに、「なんか壊れてしまった」「知らないけど無い」「いつかどこかで変えたことしか覚えてない」「よくわからなくて捨てた」「わからないどっちなのかもどっちかなのかもわからない」などとADHDムーブを演じるたびに、それの尻拭いをしてくれる身の回りの人たちや、その皺寄せを食う羽目になる未来の自分に対して、恐縮するそぶりも見せず、それどころか「これがワタクシの人生の、欠かせないフレーバーでい」みたいに堪能して過ごすふうな態度を書いてるのは、ちょっとたちが悪いですよね。寒いですよね。

「物が壊れても何も感じない」などと。達者な口で。何を気取って言うのか。一人で生きてみろ。感じないわけにはいかなくなるぞ。

急にBADに。急に恥入る者。カスカスの木のチップばら撒いてるみたい。何書いても自己演出のレイヤーに包含されて嘘くさくなる。嘘というか、失効した言葉しか出てこない。ふさわしさがない。身体は、言葉で補填できるものではないからだ。書くことしか書かれない。言葉をへらへらさせないように注意を払ったところで、生きざまのへらへらが直ることはない。僕の場合、生きざまというか、生き塊(くれ)みたいなもの。

僕っていつもそうだけど余計に喋りすぎている。喋ってるほど、喋るべきことはない。なんか語を繋げるノードマップみたいなのが自動的に広がるからそれやって「やったー」って思ってるだけ。生成AIと同じ。物を大事にしない者は、手触りを大事にしない者は、身体を大事にしない者は、生成AIと同じになってしまう。統計的な確からしさでしか話すことができなくなる。