学校に行って、友達の制作の手伝いをした。





紙に色々書いた。
作業が終了したあと、友達から『あんスタ』のことを教えてもらった。『あんさんぶるスターズ!!』という男子アイドル育成ゲーム、およびその周辺メディアコンテンツだ。
主要人物や舞台設定のさわりを教えてもらったのだけれど、その内容の壮絶さに驚いた。
『あんスタ』は「夢ノ咲学院」というアイドル養成学校的な教育機関を舞台にしている。
この世界にはかつて伝説的な男性スーパーアイドルがいたのだけれど、そのスーパーアイドルがあるライブにて、前代未聞の事故を起こしてしまう。過激なファンとのトラブルのすえ、相手を殺してしまった(!?)のだ。投獄された彼は、衰弱のすえ獄中死を遂げる(!?)。
そんな伝説のアイドルの逝去に、彼のことを寵愛していた業界の首領「ゴッド・ファーザー」(あきらかにジャニー喜多川がモデル)も失脚し、アイドル事業はままたくまに斜陽産業となる。その結果、アイドル養成校として名高かった夢ノ咲学院も腐敗を極め、治安の悪い不良校に成り果ててしまった。
『あんスタ』におけるいわゆる主人公格のアイドルキャラクター(アイマスでいう天海春香みたいな)に「明星スバル」という人物がいるのだけれど、彼はその獄中死した元スーパーアイドルの息子らしい。
!?
「アイドルの失われた世界」で、再びアイドルの輝きを取り戻そうと夢をみる若者たち……彼らの背中を追う。それがあんスタ。
友達の説明を聞くに、あんスタに登場するアイドルは、明星スバルに限らずどいつもこいつも笑えないバックグラウンドに尋常でないパーソナリティを背負わされている。「母親が悪徳宗教にはまり莫大な借金」やら「父親からDV」やら「演技することでしか自分を保てない」やら……。「ゴッド・ファーザーの”鑑賞品”として幼少期から隔離されて育った」もいる。
キャラコンテンツらしく、アイドル同士の濃密な人間ドラマが描かれるわけだけれど、そのストーリーがまるで白い巨塔みたいなドロドロの政治劇なのだ。目的のためなら手段を選ばないカリスマ生徒会長「天祥院英智」が、アイドル復興という野望のためにありとあらゆる策略を巡らせ、周囲のアイドルたちを駒のように扱い、非道な仕打ちを与える。
日日日(あきら)というシナリオライターが監修している(た)らしい。まさかこんなにグロテスクな悲劇的コンテンツだったとは知らなかった。びっくりしちゃった。過酷な試練を前にもがき苦しみ、すれ違いや葛藤のすえに各々の輝きを見つけるキャラクターたち(やその関係性)にファンは共感したり尊さを感じる、のかな。
個人的にはなんだか、あからさまに重い設定と瑕疵のある人格ばかり付与して、キャラたちにやりたい放題苦難のドラマを押しつける運営の末恐ろしさを前面に感じてしまって、ストーリーを楽しめそうになかった。それはまあ僕が顧客層としてお呼びでないってだけなのだろうけれど。
二次元アイドルコンテンツ。
『アイドルマスターシャイニーカラーズ』が、よく人間的な実在感や、アイドル産業への批評的なテーマを織り込んだテキストの上質さで評価されるのをよく見ていた(僕がシャニマスについて知ってること:芹沢あさひがあきらかにADHDとして描かれている、ノクチルのコミュニケーションの行間がすごい、七草にちかのやるせないパーソナリティがすごい)ので、僕も一時期興味を持っていた。でも結局、自分はその良さにいまいち乗りきることができなかった。おそらく感情の細やかな機微が編まれた対話劇が、僕にはどうしても遠回りばかりのディスコミュニケーションの連続に見えてしまうことが多かった。「みんなもっと、考えてることそのまま言えや」と思うことが多かったな。機微向いてないかもしれない。
『学園アイドルマスター』のほうが好きだ。曲とMVがすごいから。たぶん自分がオタクとしてアイドルコンテンツに傾倒するときは、キャラ像やキャラ同士の関係性への愛着よりも、そんなキャラクターの存在を活かした曲や映像みたいな二次的生成物に惚れる感じなのだと思う。ヒプノシスマイクの『そうぎゃらんBAM』とかすごい好きだな。
アイドル。アイドルの話。
二次元アイドルのファンコミュニティと三次元アイドルのファンコミュニティってお互いのことどう思ってんだろうっていうのがけっこう気になってる。
というのも、僕はニコニコ動画とアニメを見てきたTwitterのオタクではあるのだけれど、三次元アイドルにも興味があるからだ。アイドルソング単位では男性女性問わず色々と好きだし、グループとしては櫻坂46が特別に好きだ。
「櫻坂46」は秋元康プロデュース「乃木坂46」の妹分グループだ。元々「欅坂46」として有名だったけれど、色々と闇の深い経緯のすえに改名した。
振り付けとMVがとにかく好きだ。櫻坂のダンスはコンテンポラリーやジャズの動きをミックスした群舞になっていて、超かっこいい。王道アイドル的なきゃるんきゃるんした振りは少ない。かっこいいけれど、ガールズヒップホップ的な洗練されたかっこよさとも違う。なんか良い意味で宗教っぽいというか、あくまでナイーブな少女たちが、詰め込まれた振り付けのために手脚を大急ぎで動かしてるみたいな。集団で身体をぶん回し、一体となって楽曲に奉仕しているさまに胸を打たれる。
これも良い。MVもいいんだよなぁ。ダンスを重点的に撮ってくれる。
そんな感じなのだけれど、僕のようにアイドルマスターについて語りながら同時に坂道アイドルについても盛り上がる者って、本当に見たことがない。両者は住む世界が違うというか。二次元のアイドルと三次元のアイドルは、概念としてはむしろ共通することのほうが少ないのだろうか。「二次元のアイドル」とはそもそもあくまで現実のアイドルをテーマにした二次元キャラコンテンツに過ぎなかったところが、だんだん産業が進化して、実在のアイドルを「推す」のと同じように応援できるようなった感じがある。だからこそ現実のアイドルをしばしば「三次元のアイドル」と呼ぶようになった。
このへん深淵だから滅多なこと言わないほうがいいかも……? ただ、自分が櫻坂46のMVを何周も視聴してほくそ笑んでいるという事実と、そこにある僕の欲望と快楽の存在を、だいたい何でも書いてるこの日記にあえて書かないのは不自然だな〜と思って、流れで書いた。
このMVも好きです!
二次元と三次元の断絶もそうだけれど、「アイドルが好き」と言いにくいことも、個人的に気になっている。さっき『あんスタ』脚本の趣味の悪さに僕は苦手意識を覚えたけれど、それでいうと、三次元アイドルのほうが現実の人間が商品化されているのだから、もっとたちが悪いとも言える。知ってる人は知っていると思うけれど、改名前「欅坂46」の時代は、あんスタのストーリーに引けを取らぬヤバイ運営が行われていた。コンセプト偏重のプロモーションがグループメンバーを追い詰めて、ファンも増長して行きすぎた消費をしていたと思う。
「アイドルは、存在が受けつけられない」という人もいる。知り合いでも結構いる。これも、アイドル当人たちのパフォーマンス以前に、それが成り立っている産業構造の気持ち悪さが見逃せないのだろう。秋元グループとか14歳の者がオーディション受けたりするし、握手会の映像とか見てみると指絡ませたりしていて、あれに性欲が関係してないというのはさすがに無理があった。
「性的消費」「加害性」「対象を記号化して搾取」いろいろ言い方あるけれど、そういう構造を警戒するリテラシーは、けっこう僕たちの世代には標準搭載されている気がする。アイマスシリーズのゲームには、キャラクターの胸をタッチするとそれ専用のボイスが出るというセクハラシステムが伝統的にあったのだけれど、その仕様はだんだんファンからも批判されることが増えてきて、たしか学マスでは廃止された。
僕自身、そういう現代の倫理観を周りの空気から漠然と察して内面化してる自覚がある。「アイドルが好きなんだよね」って言うと、上記のグロ構造に加担していることの表明になってしまう気がして、ちょっと恥ずかしいというか……いや加担していることは事実なのだけれど、そのことを恥じいる自己検閲の意識が雑に働きすぎていて、むずむずするんだ。「我ながらアレですが……」と自己保身的な構えを見せながら、結局はオタクの消費行動を堅持してるのは、なんだか一番弱い態度な気がする。語彙が足りない。強くなりたい。
強くなりたくて、渡部宏樹『ファンたちの市民社会』読み始めてみた。時代の倫理を意識して無理に禁欲的になるんじゃなくて、自らの欲望と快楽の「悪さ」を自覚しながらも、それらといかに良いかたちで付き合って、資本主義の論理と共存していくか、みたいな新書。めっちゃ面白い。
本に書いてあってなるほどと思った話なのだけれど、マドンナが『Like A Virgin』のMVをリリースとき、身体のラインがくっきり出る衣装を着た彼女が身をくねらせる映像が「男性にとって都合の良い女性像だ」としてフェミニズムの文脈で批判された。
しかし実際は、マドンナは10代の女性たちから熱烈な支持を受けた。彼女の扇状的な身体の誇示は、ティーン女子たちの目には「性的な自己決定権」の表現として映ったのだとか。マドンナの放つ女性性は、男によって見出され男のために使われる性じゃなく、女性が人生において自分の意志で表現していける性として、むしろ古い規範を更新するエンパワーメントをもたらした。当時先進的だったフェミニストすらその批評性に気づかないなか、若年層がそれを感じとっていた。
女性アイドルは、女性ファンも多いイメージ。グループによるか。K-POPなどは特に、力強い自立した女性像みたいな。というか、僕ってゲイだから櫻坂46のメンバーを性的な目では見ていないんじゃないの? わからない。自信がない。若い女性の顔を見て、その造形にうっとりしてる自分は確実にいて、好みもある。パートナーにMVを見せて「ここ! 〇〇さん美しすぎる。ここも。わかるか?」など言うときがある(パートナーには「全員同じ顔に見える」と言われる)。
ゲイが女性アイドルを好きになるのはありがちな傾向ではあるけれど、それは女性が女性アイドルを好きになるのと同じ欲望によるものなのだろうか。その欲望の正体を知らないけれど。
女性アイドルに比べると男性アイドルは同性ファンが少ないイメージがある? LDHなどはそうでもないか? ウーン、勘で書いているな……知らないグループについて無理に把握しようとしなくていいか。アイドルの専門家ではないのだし。僕はSexy Zone(改名した?)の『RIGHT NEXT TO YOU』という曲が好きだった。
正直、わからないな。僕はべつに、男性アイドルのことも性的に見ていない。自分がアイドルに向ける眼差しは、産業構造やらの語りに繋げられるほど、典型的なものではない気がしてきた。無辜のふりをすることを避けたいがために、過度に当事者ぶろうとしていたかも。
たぶん、巷ではFRUITS ZIPPERが流行っている。この曲『わたしの一番かわいいところ』が「フェミニズム批評的にどう解釈できるかを考えると面白い」と本に書いてあったので視聴した。「ただただ曲が良い」という関係ない感想を抱いた。曲いいな!? コメント欄を見たけれど、誰も曲のクオリティを褒めてなくて怖くなった。
作曲者を調べたら、ヤマモトショウという作曲家が提供していた。アイドル業界で最近際立って活躍している方らしい。この『わたしの一番かわいいところ』と、fishbowl『熱波』の2曲が、ある年のアイドル楽曲大賞(そんな賞があるのか)で同点1位に輝いていた。その二つともが、ヤマモトショウの作曲によるものだったらしい。やっぱ曲いいよね?
同率一位だったfishbowl『熱波』。エ! よすぎ。ヤマモトショウ……。
大森靖子にも提供していた。これもいいな。
もしいつか、アイドルが法的に「悪い」コンテンツとみなされ規制される時代が来たら、何が禁止されるんだろう。肌の露出とか、未成年の活動とか……? 「活動」とは。歌って踊るだけでは、三浦大知のようなパフォーマーもいるからアイドルとは言えない。握手会ならAdoもやってたし。どうなんだろう。顔出しをしないゲーム実況Youtuberですら、性的な文脈で囲われたりしている。
そういえば中国は、実際になんか規制していたな。アイドル育成番組やランキング形式の番組、未成年のファンの投票や課金などが禁止されているみたい。へえ。あと、”女性的”な見た目の男性アイドルが「健全な男らしさのイメージを損なわせる」として禁止されているらしい。じゃあ、今中国でテレビをつけたら、男性的な男性アイドルが跋扈してるのか? ふうん。