7時に起きた。学校に行った。獄暑(ごくしょ)。
ラボで教授陣にDeath the Guitarの進捗を見せた。今日の発表に向けて、昨日と一昨日まとまった作業ができたことがうれしかった。
授業後に図書館に行って、返し忘れに返し忘れを重ねていた『T.A.Z.:一時的自律ゾーン』をようやく返却した。司書の方に「一ヶ月間貸出停止です」と延滞の罰則を告げられた。
涼しさで、図書館から外に出たくなくなった。何か読むものを探した。閉架で、やなせたかしの絵本『チリンのすず』を見つけて読んだ。僕はきむらゆういち『あらしのよるに』が好きなのだが、『チリンのすず』は『あらしのよるに』のシビアなバージョンらしいという情報を何処かで見かけてから、気になっていた。
最後のページの語りに「あらしのよるに」というフレーズが使われていた。もしかしたら『あらしのよるに』のタイトルはこれを直接参照したのかも。
羊(『あらしのよるに』は山羊)と狼が親密になるところは同じだったけれど、それ以外の展開はさほど似ていなかった。『あらしのよるに』では食肉欲と親愛のせめぎ合いが描かれていた。狼のガブは山羊のメイと友達になりたいが、どうしても美味しそうに見えて食いたくなってしまう。対して、『チリンのすず』は食肉についてはとくに描かれなかった。
母親を殺された羊のチリンは、仇である狼のウォーに弟子入りする。ウォーのもとで修行したすえ強くなったチリンは、その強さでウォーを殺し、復讐を果たす。しかし心はまったく晴れない。チリンはそこで、自分がウォーのことを父親として好きになっていたのだと気づく。いいな。なんというか神話的? よく見る物語のつくりな気がする。ナナチのボンドルドに対する感情とか。
絵本を読んだあと、映像資料の棚を見た。北野武『ソナチネ』を見た。感動。相撲のシーンおもしろ! やるせない苦しみを描くために、同じだけのユーモアを描いて比較してくる。北野武の場合、そのどちらかがどちらかに奉仕するようなバランスじゃなくて、その総体で作風ができているように思う。笑いがシリアスを脱臼させて、シリアスが笑いを脱臼させる。
図書館を脱臼。帰宅。
今日で日記をサイトに書き始めて1年が経った。当初は「日記」と書くのが気恥ずかしくて「制作日誌」と言っていた。少なくとも1年間継続ができてうれしいけれど、インターネットにはこういうコンスタントな出力を5年、10年と続けている人達がわんさかいる。自分のことよりも、彼らのすごさに感服する気持ちが強い。尊敬の念というより、10年も同じ出力行為が性質にフィットし続けているなんて、羨ましいなぁと思う。
いつ飽きるかわかったものじゃない。今後自分にはさまざまな環境の変化があるだろうし。なんだかんだやめちゃった時の挫折感、ショックを和らげるための受け身の取りかたばかり、心の中でシミュレーションしている。
Death the Guitarが完成するまでは書いていたいな。
スプラトゥーンとOuter WildsのDLCやってたらもうなんかへとへとになり、21時に寝た。