13時に起きた。

ウワー!! 納豆の原作!?

こっちから嗅いだらめっちゃくせー!

クッソオオオオオ
食べたら美味しかった。ちょっとベースブレッドみたいな味だった。
動くのが嫌で出かけるのをしぶってしまったが、なんとかタイミングを見つけて家を出ることができた。コワーキングスペース。
集中して、5時間半ほど作業ができた。プログラミングを実直に進めていくフェイズで、少しずつ期待した動きができるようになっていくのが嬉しかった。すごくクリアな頭で作業ができた。絵作りに悩んだ一昨日と昨日は苦しくて精神的に参っていたけれど、やっただけ満足な結果が伴った今日の作業は、すごく楽しくやれた。こういう楽しい日もあることを、忘れずにいきたい。
最後の1時間はディレクトリ構造を整理したり、リファクタリングしていた。こんなふうに省エネルギーでできる隙間作業みたいなものがあると、体力と時間が微妙に余ったときに追加点的なやりがいを得られて良い。
プログラミングで情報収集してたときに見かけたこのゲームデベロッパーの方のサイト。作りが好きだった。私はこういう者で、このようなパーソナリティがあり、こちらを発信していますという情報を、なんか親しみの持てる語りとともに配置している。トップの写真が端的に素敵なのもあるかもな。参考にしたい。
一段落を「ひとだんらく」と読むの誤りなの!? 知らなかった。こうした言葉のよくある誤読や誤用は自分はそれなりに知っているほうだと思いたいのだけれど、まだまだ穴があるな。「ひとだんらく」が誤読なことなんて、人によっては初歩もいいとこだったりするのだろうな。いいよ。「ひとだんらく」と言ってきた25年間の人生を、僕は引き受ける。嗤うなら嗤えばいい。こっちには「『旧暦の10月を神無月と呼ぶのは、神々が出雲に集まって国中からいなくなるから』という説は、後付けの誤り」という強力なカウンターカードがある。
一般に誤用や誤読とされていることをわかっていても、あえて使うことはある。僕はたとえば、ら抜き言葉は躊躇なく使う。あとから「見られる」を「見れる」にわざわざ修正する「ら抜き作業」をやることすらある。「ら抜き」は誰かがやらないといけない。社会がエスカレーターの右側に立つ人を求めているのと同じ。僕が先陣を切って、普及させていく。きっと100年後には僕はら抜きのパイオニアとして偉人になっている。
誤用などを知っておくのも大事だけれど、同時に既存の規則を破壊して塗り替えていくこともしないとだめだ。言葉を運用する際には、攻撃と防御どちらの姿勢も忘れてはいけない。世の中には案外くだらないマナーや固着した価値観に縛られている人が多い。人からもらうアドバイスとか、容易に聞かないように注意せよ。
姉のNight in the Woods配信第2回を見た。面白い。配信終わりに、姉から「トロヤのパートナーさんってアンガスみたいだよね、つまりトロヤは……」と言われた。つまり僕はグレッグ。
僕はグレッグであり、メイでもある。メイの振る舞いはあきらかにADHD傾向を強調して描かれている。メイとビーの夜の会話は印象的だった。多動的・衝動的なメイが「面白い人」としてビーの目に映って、彼女の心を癒して、同時に疲れさせもした。
幼少期から受けた母親からの過度な期待や、社会的な抑圧との精神的折り合いがつけられず、自己肯定感に瑕疵がある。怒りのコントロールもできなくて、この辺のパーソナリティ機能とADHD特有の抑制の無さの合わせ技で、きっと上手くいかないイベントが重なってきて、人生から手応えを奪われていったんだろうな。
グレッグも多動気質で不安定だけれど、メイよりかは自分の性質にフィットした環境で青春を過ごせてきたのか、芯が強いように見える。大学に行っていないぶん、ずれの感覚や挫折に苦しんだ経験がマイルドだったんだと思う。彼の両親はどうだったっけ。
メイはきっと、色んな人にため息をつかれながら生きてきた。けれど、すべての人がそうではないから。メイが安心して朝を迎えられる日々が来るといいな。
MOTHERやりたい。やったことない。