虫のように都合よく

2024 - 09 - 09

犬とその飼い主は、一緒に生活するにつれ、犬の前足は飼い主の手のように、逆に飼い主の手は犬の前足のように徐々に形が変化し、どちらかが死ぬ頃には、お互いの手と前足は見分けがつかなくなっているという。

という夢を見て起きた。ニュースで北朝鮮の子供たちが両手をあげ、満面の笑みを浮かべながら金正恩総書記に駆け寄るシーンを見た。彼らのまぶしい笑顔に比べ、俺の真顔っぷりときたら。首をもたげ目を伏せて、死体のように一点を見つめている。これが権利の真顔だった。

権利の真顔のまま、昼を迎えた。まだ寝室にいた。下ばっか見ていたので、本棚の下段に目が行った。そこには志村貴子作の漫画『放浪息子』全15巻があった。ふぇーんと思いながら、読み始めた。

主人公は男の身体をしているが、かわいい服を着たいと思っている。主人公の親友は女の身体をしているが、かっこいい服を着たいと思っている。彼らと彼らの周りの子供たちが、性自認や思春期の悩みを抱えながら生きる。物語は小学校5年生の時から始まり、最終巻では高校生になっている。

僕は女の子になりたいのか? 女の人が好きなのか? 男として女の人が好きなのか? 女として女の人が好きなのか? 私はかっこいい服を着たいだけなのか? 男の子になりたいのか? こんなこといつまで続くのか? など。みんなずっと悩んで、喧嘩したり仲直りしたり、喧嘩したことを忘れていつのまにか仲良くなっていたり、いじめたり、いじめられたり。

男の格好に憧れる親友は、指定のスカートではなくズボンを履いて登校してみたりする。その様子は周りから「ボーイッシュでいいね」と受け入れられる。それを見て勇気があふれた主人公は、今度は自分がスカートを履いて登校してみる。すると彼は教員によってたちまち保健室へ連れていかれ、親を呼び出され、早退させられる。校内でもこのことが話題になり、彼の一つ上の姉は「弟が女装している」とからかわれ、不登校になる。このように、女性が男の格好をすることと、男性が女の格好をすることの残酷な差が描写されたりしていた。

15巻を読み終えた。なんか全体にわたって、主人公の強靭なメンタルがすさまじい。スカートで登校したこともそうだけど、ここぞという時にあまり深く考えず思い切った行動をとれる。自分のあこがれを譲らない、強い子だ……。というか登場人物みんな強い子だ。さっぱりしてる。だから安心して読めた。僕は千葉さおりさんが好きだった。彼女は自分の中の獣性に悩みつつも、自責や他責をいい塩梅でスイッチながら自分の心を守る力がある。あと、恋心とそれ以外の気持ちを切り分けて人と関われるドライな強さがある。小中の頃は気持ちに折り合いをつけられず保健室登校や不登校が続いたが、いつのまにか達観した大人に成長していた。

漫画。。。。寝室で読んでたら、いつのまにかミーティングの時間になっていた。今週も進捗が無いことを思い出した。身体が起き上がれそうにないので、寝転んだままミーティングに参加した。担当の方と話した。「お元気ですか?」と訊かれ、僕はモニョモニョした。元気な時もあれば元気じゃない時もあります、というくだらないことを言ってしまい、恥ずかしくなった。進捗がないので、雑談しかできなかった。彼には以前、僕が近々サンフランシスコに旅行で行くことを話していた。すると彼は、サンフランシスコ周りでゲームイベントがないか調べてくれていて、めぼしい施設などを教えてくれた。優しい人だった。彼に「トロヤさん、そんなに具合の悪い状態なのにアメリカなんか行って大丈夫ですか?」と訊かれた。僕は「たしかに」と思った。

たしかに、だった。途端に自責の念に駆られた。夏のあいだ、僕はさんざっぱら抑鬱状態で寝込んでおきながら、お出かけするときは体よく「たのし〜」と羽を伸ばしていた。虫が良すぎた。サンフランシスコなどに行く権利があるのか。僕は。さぼってるだけじゃん。ゲーム開発を。逃げているだけじゃないか?

買い出しのスーパーでも上のことを考えて、品物を見れなくなってしまった。僕は少なくとも思考の悪循環によって買い物に支障をきたすのは本末転倒だと思い、千葉さおりのように切り替えることにした。

帰宅後、マイケル・ベイ監督の映画『ザ・ロック』を観た。なんでやねん。ゲーム開発をしろよ、と内なる声が響いた。そんな自分を裏切りながら、すきまを満たすように映画を観た。こんなにも誘惑に負け続けている日記を公開している自分って何なんだ。恥ずかしくないのか?

恥ずかしくはなかった。

『ザ・ロック』は、サンフランシスコの湾上に浮かぶ鉄壁の監獄島アルカトラズを主な舞台としたアクション映画だった。サンフランシスコ名物の、坂道を上り下りする路面電車が出てきていた。僕は旅行先でこれに乗ることになるのか、と胸が躍った。しかしその路面電車は主人公達のカーチェイスに巻き込まれ、脱輪して乗客を振り落とし、坂を転げ落ちた先で車に激突し、ふっとんで大爆発していた。現地でこうなったら最悪すぎる。

アルカトラズ島も、旅行で訪れる計画だった。『ザ・ロック』では、同じく島の見物に訪れた81名の観光客が、テロ組織に人質として捕縛され、アルカトラズの牢屋に投獄されていた。こうなったら嫌すぎる。

映画を観たあと、ゲームを遊んだ。作るんじゃなくて。やるべきことをさぼっていると、一日がすきまだらけになる。空隙を睡眠だけで埋めることは、難しい。みじめな僕でいいから、ゲームをやらせてください。

『アストロボット』を少しプレイした。SIE内製の新作だった。すごいゲームだ。誘導と探索が不快じゃないバランスで担保されてて、丹念におもてなしされていると感じた。任天堂みたいな緻密なレベルデザインが、PS5の圧倒的グラフィックの暴力をもって振るわれる。クラクラする。何かアクションを起こすと、絶対何でも何かしらの反応を返してくる。過剰なパーティクルがフィードバック感を強調する。ちょっと怖い。こっちを見てくるカラフルなお花が怖い。「フッフー!」みたいなロボット達の挙動が怖い。陽気すぎる。明るすぎる。多幸感の蜜が充満して、いろいろなことを曖昧にしている。ステージクリアの時、画面の前の俺に向かってアストロボットが手を振ってくる。怖い。世界が自分中心に回っている。世界に接待されている。怖い。LSDをキメたら、人生全部こんな風に見えるんじゃないだろうか。レベルデザインに恐怖をおぼえたのは、初めてだ。既存IPの協力があったからかろうじて現実世界とのレイヤーの違いを確かめられたけど、このゲームはなんだか危険な領域に足を踏み入れている気がした。

寝るころ、鼻がやけに詰まって、皮膚が熱くなっていた。明日起きたら熱を出していそうな予感がした。報いが来るのかもしれない。