テキストの時代

2025 - 10 - 16

眠れなかった。

ちょい勉強。積分因子をかけて完全微分型に帰着する例。

Sure, I smell like BO from the two days of running in fear, but it’s better than the sweet smell of rotting meat that’s enveloping me.

「もちろん、二日間も恐怖の中を走り続けたせいで僕の身体は汗臭かったけれど、それも今鼻に届いている甘ったるい腐肉の臭いよりはましだ。」BOは “body odour” の略で、汗臭い体臭を表す口語表現らしい。知らなかった。

I reach up and pluck uselessly at the hangman’s knot that I immediately know isn’t going to budge no matter how much I pull.

「僕は手を伸ばして首吊り縄の結び目を必死に引っ張るけれど、どれだけ強く引っ張ったところで動かないことがすぐに分かる。」〈hangman’s knot〉は首吊り縄の結びかた。釣り糸の結びかたでもある。実際に友達が首を吊っている場面なので比喩じゃないけれど、ハングマンズノットと用語が前に出てきてる感じはノベルゲーム的な修辞っぽい。〈pluck at something〉で「~を引っぱる」。that節の中にI immediately knowが副詞的に挟まるのはI thinkとかでよく見るやつか。

というか、急にキャラが首を吊っていてショックだった。一度ゲームを中断した。そいつの心臓は止まっているようだったけど、独特の精神空間での出来事だったので、もしかしたらまだ生存しているかもしれない。

日が昇っても眠れなかった。こうなるととことん眠れない。

サンフランシスコに行ったときに本屋で買った『ゲーデル、エッシャー、バッハ』の原語版の適当なページを開いて読んでいた。意外と読めそうだった。日本語版をすでに読んだから、内容が頭に入りやすくなってる。でもそのあと同じ箇所の日本語版を読んでみたら、書いてあることがどう示唆に富んでいるのか、英語のときよりもしっかり理解できた。英語は読めていると勘違いしてるだけで、ふかしているだけかも。

The intuition feels that there is information inherent in such texts, whether or not we succeed in revealing it. It is as strong a feeling as the belief that there is meaning inherent in a newspaper written in Chinese, even if we are completely ignorant of Chinese. Once the script or language of a text has been broken, then no one questions where the meaning resides: clearly it resides in the text, not in the method of decipherment ―― just as music resides in a record, not inside a record player!

「テクストを解読できるかできないかに関わらず、直感はそのようなテクストに何か固有の情報が”ある”と感じさせる。私たちが中国語についてまったくの素人であるのにも関わらず、中国語で書かれた新聞の中には意味があるのだろうと信じられることと同じくらい強い感覚だ。あるテクストの文字や言語がひとたび読み解かれてしまうと、もはや意味がどこに帰属するのか疑問に持つ者はいない。明らかに意味は”テクストの中に”あるのであって、解読法のなかにあるわけではないのだ―――ちょうど、音楽は”レコードの中に”あって、レコードプレーヤーの中にあるわけではないのと同じように!」

has been brokenのところでちょっと苦戦した。〈break〉には “to break a code” みたいに「解読する」という意味があることがわかった。『FEZ』で、ステージの形状がそのまま隠しコマンドの指示になっていたことを思い出した。それは僕は自力じゃ思いつけなくて、攻略を見てしまった。テクストを読むにはまずそれがテクストである(意味を宿している)ことがわかる必要がある。GEBではそれを「フレーム・メッセージ」と名付けている。

The frame message is the message “I am a message; decode me if you can!”; and it is implicitly conveyed by the gross structural aspects of any information-bearer.

「フレーム・メッセージとは『私はメッセージです。可能なら私を解読してください!』というメッセージのことである。これはいかなる情報担い手においても、その構造的外見の総体によって暗に示される形で伝えられる。」

2文目どう訳したらいいかよくわかんなくて日本語版見た。フレーム・メッセージはどう頑張ってもimplicitly(陰伏的に)伝えることしかできない。我々が宇宙人に向けて書いた手紙を宇宙に放って、もし宇宙人がそれを手に入れたとしても、彼らはそれをただの何でもないシミの集まりだと思って捨ててしまうかもしれない。

散歩した。小雨で寒かったので、三角形に歩いて帰った。

散歩から戻ってあらためて横になってもなかなか眠れず、布団のなかで文字を打っていた。結局14時半頃に寝た。

バスツアーに参加している夢を見た。途中で降りたサービスエリアで、参加者のあいだで原因不明のいざこざが起こり、そこで決闘みたいなことが始まった。いざこざの当事者となったメンバーたちが一人ずつローテーションで発砲していき、最後の一人が生き残るまでそれを続けるというものだった。バスガイドが昂った彼らを必死に宥めようとしたが、それは無意味だった。銃声が鳴るたびに、一人ずつ血を噴き出して倒れていった。他のツアー客たちは悲鳴をあげたり、恐怖で固まったりしていた。バスガイドも自分の身を案じて、決闘騒ぎを止めるのを諦めた。銃弾は外れることもあった。僕は自分に流れ弾が当たるのが本当に嫌だ、怖い、ということばかり考えていた。銃を持った者たちの手元を見て、それぞれの射線の延長線上に自分がいないように、人だかりをかき分けて動き続けていた。だんだんと人数が減っていった。

起きた。嫌な夢だった……。サバノミソニタベタ。

決闘って、中世から19世紀頃まであったらしい。結構最近のことなんだ。『フェルマーの最終定理』に出てきた数学者にも、一人決闘で命を落とした人がいた。決闘、周りの人間からしたら本当にやめてくれよって感じじゃない? 友達が急に50%くらいの確率で死ぬ営みをしだすなんて嫌すぎる。

アメリカの西部開拓時代の決闘とか、ルールが雑だったりもするよね。何歩歩いて振り返るとか、投げた物が落ちた瞬間とか。フライングして撃った場合とか、どうなるのだろう。

決闘のWikipedia読んだ。女性や高齢者間での争いの場合は、代理人による決闘になることもあったらしい。敗北した場合は右手を切り落とされたんだって。「敗北した場合」って、必ずしも死ぬわけではないのか。近代の決闘では、人が死ぬ割合は約14分の1だったとか。決闘って、案外死なないんだ。てっきりどちらかが死ぬまでやるのだと思っていた。

椅子に座ってゲームエンジンを開いた。その後に進まず、今日はこれだけになった。でもこれでも目標は達成だからね。僕は嬉しかった。

西部劇映画の感想に関連してフライングについて言及していた個人サイトのページを見つけた。この方の文章が面白くて、色々読んじゃった。

関係ない前置きがとても長くて、最後の最後で映画の感想がちらっとだけ語られる。その内容がめちゃくちゃ中身ない。面白すぎ。

テキストサイトの最高さ。

映画レビューは2011年〜2014年のあいだ書かれたものだったけれど、サイト全体は中日ドラゴンズ情報がメインで、今も更新されていた。映画や野球以外にも、食品レビューとか日記とか色々あった。たくさん読んだ。その人は毎日食べたものとそのカロリー、歩いた歩数なども自分のサイトに記録していた。いいなあ。SNSの発信などとは違う、個人の生きている感じが滲み出ている。

僕もこの人のサイトのように、自分のサイトを城みたいに構築していきたいな。今は日々の日記を書くことに終始してるけれど、特定のトピックに絞った記事を書いたり、コーナーとか作ったりさあ。

22時頃にまた寝て、今日は終わった。眠れなかったせいで、昨日の延長でずるずると一日を過ごしてしまった。まあいいや。