8時に起きたけど何もできない。
嘘。エルデンリングはできる。防具無しでやっているから、歩くと「ぺたぺた…」と裸足の足音が鳴る。祖霊の王倒した。宿将オニール倒した。

微分方程式の演習問題やった。途中一問全くわからなくて、答えを見たけど答えが理解できなくて、ChatGPTに聞いても(知らない解法しか使ってくれなくて)わからなかった。コマッチャッタ。強制振動に関する運動方程式を解く問題だったので、一度力学の文脈に触れてから戻ってきたら理解できるかもしれない。とりあえず放っておくことにした。
ともあれこれで3章「微分方程式の解法」が終わったぜ。ええっと次の章は……「ベクトルと行列」だってよ! ようやく微分積分から解放された! ウオオ。前の大学で不登校になる前に線形代数の授業はちらほら受けていたので、行列の内容はちょっと覚えている。右からかけるか左からかけるかで答えが変わるんでしょ。すごい話ですよね。
冬が近づいてきたのでついにホットコーヒーを飲んだ。以前から気になっていたコーヒーを飲むと体調が悪くなる問題について、温かいコーヒーならいけるかもしれないという期待のもと……。
だめだった。飲んでからすぐにそわそわする感じと動悸が始まった。脳みそが湯煎されているように揺らいだ。

血圧を測ってみたら最高血圧が140あった!? 僕ふだん115とかだけど。僕、コーヒーを飲むと血圧140になるのか? MENSA入れてしまうぞ。
見たことない数値に慄いたけれど、調べたらコーヒーを飲んだ直後に血圧が上昇するのはある程度普通のことらしかった。しばらくしてから再計測してみた。132にまで下がっていた。なぁーんだ、そんなにおかしいことではなかったのか、ハハハハハ(とはいえ現にしんどいわけだが…)。
『キミと越えて恋になる』面白い。獣人(正確(?)には獣人と人間のハーフ)の肉欲や生理現象と向き合っていく。一度襲われそうになったからといって関係性を諦めず、一緒に制御できるラインを探っていこうと頑張れる主人公とその友達はえらい。たとえばエイズ患者だからといって性交渉が許されないわけではないように、知識を持って正しく恐れれば、不当な差別をせず、人それぞれの欲望を大切に守って共生していける。そういうえらさ。
それにしてもケモノだなあ。最近クマが人間の生活圏に侵食してきているけれど、僕の生活圏にもケモノが急速に侵食してきている。僕はついこの前けもケットに初めて参加して同人誌を大人買いしたわけだけど、次の年明けに行われるけもケットでは、お友達とブースにて(当選すれば)出展側として漫画を描くことになった。展開が早い。
獣人が搭載している尻尾、あれ僕も欲しいと思う。嬉しいと感じているとき、否応なくブンブン振れるやつ。感情を隠すことはできない。これって、一方的に嘘偽りない感情を開示することができるという意味で、ある種ものすごいアドバンテージなんじゃないかと思う。
『サトラレ』という漫画では、考えていることが周りに筒抜けになってしまう特異な人々が描かれていたけれど、あれもむしろ人間社会でとても生きやすい状態なんじゃないかしら。好意はダイレクトに伝わるから、人との距離を詰めやすい。裏読みされない。一方でネガティブな感情も、抱いたらそれが強制的に伝わってしまうから、嫌われる人には嫌われるだろう。でも少なくともその感情は、社会福祉的には大切に取り扱ってもらえる。現代では内心の自由が信じられていて、悪い考えを不当に「表明する」ことは断罪されるけれど、悪い考えを「抱く」こと自体は当然の権利として守られるからだ。全員がサトラレになったらそれは三体人みたいにまったく別物の文明になるが、もし僕一人だけが内心を保証つきで一方的にさらけ出せるような器官を手に入れたら、それは立派な武器になる気がする。合わない人に順当に嫌われるのも、別に人間関係のマッチングとしては健康的なことだと思うし。
つまり尻尾が欲しい。ブンブン。
この日記が尻尾みたいなところあるか。
22時。へとへとだけど、夜になってゲームエンジンを立ちあげられた。
・血飛沫を新しく実装する。
・攻撃ゲージのUIを再表示する。
・一個目のタイルセットを完成させる。
・最初のステージを作る。
・カメラ移動のバグを直す。
・角周りの衝突のバグを直す。
・リロード中は重複してリロードを受けつけないようにする。
血の実装ちょっと進めた。リスト的には進んでいないけれど、やったぶんだけ進んだんだ。猛烈に眠いから今日は終わりにして寝る。
血圧を測って140だったときの自分のテンションの高まりかた半端なかったな。ここ一年の僕、血流やらセロトニンやらドーパミンやら鉄分やらカロリーやら自律神経やら気温やら湿度やら気圧やら、自分の内外を構成するパラメータをやけに気にするようになった気がする。良く言えば自分の身体を大事にしている。悪く言えば健康オタクのジジイになっている。定かでない情報源に踊らされ、有る事無い事に因果関係を見出してやまない蒙昧なジジイ。
こうして長生きのための工夫だけに人生の時間を捧げ、その結果長生きした末に死んだら、皮肉だ。僕が死の間際に見る走馬灯は、テレビやネットで長生きする秘訣を調べる自分、毎日何時間もトレーニングする自分、栄養バランスを考えて買い物や調理をする自分と、長生きしようとしてる自分のようすばかりになる。結局僕は何のために長生きしたんだっけ? と疑問を抱いて、首を傾げたまま天に召されるのだ。
↑の話をして「こんな人生って虚しくない?」とパートナーに言ったら、「別にそういう人生もいいと思う」と言われた。言われたら確かに、そういう人生もいいかも……というか、虚しいかどころか、めちゃくちゃかっこいい気がしてきたな。「長生きするために長生きする」という自己目的的な美徳を慈しみながら生き通すのって、カントの定言命法的でもあり、仏教的でもあり、この上なく崇高かも。眠りに落ちるときは、眠りたいから眠るほうがいいように。
こうなると、堀江貴文の「野菜は美味しいから食べるの」発言に逆説的な反駁が与えられるかもしれない。
「野菜を食べて偉いですね」というスタッフの発言に対し、ホリエモンは「野菜は美味しいから食べるの」と言い返すことで、褒めてきた者が当たり前に抱いていた「野菜を食べるのは、健康になるための手段」という行為に関する価値観の道徳的貧しさを指弾した。
でもその目的主義が非難されるのは、「健康を目指すのは、〇〇になるための手段」「〇〇を目指すのは、□□になるための手段」「□□を目指すのは、……」と無限に連鎖していく限りにおいてだ。もし「野菜を食べて偉いですね」と言った人が「健康を目指すのは、健康がそれ自体で素晴らしく、目指すべきものだからだ」と自己目的的に健康を捉えていたなら、それはホリエモンの「野菜を食べるものは、野菜がそれ自体で素晴らしく、食べるべきものだからだ」という価値観となんら違わない、等価の美徳になる。だから、ホリエモンが彼に怒ったのは筋違いだった(というほどでもないが、クリティカルな指摘ではなかった)ということになる。
そして倫理の目的論は、さかのぼっていくと必ずどこかで打ち止めが起きる。人を殺してはいけない理由などの説明を合理に基づいて辿っていっても、いずれ「現に今それが正しいとされているから」と開き直ることでしか説明しようがない行き止まりに突き当たる。
社会契約説は、人々が個人個人の合理的な判断の結果として「人々は自然状態をやめて社会契約に服従するべきである」という正当性が自然と導かれるのだ、ということを主張する。でも現実問題、誰も契約を結んだ覚えなんてない。「現に今社会契約が適用されている」という事実を遡って定式化しただけで、社会契約が自然状態の人間たちによって結ばれた具体的な瞬間なんて存在しない。そもそも自然状態の者であれば、社会契約を結ぶふりをして自分だけ決まりを守らないほうがメリットになるわけだし。社会契約の正当性は、結局社会契約に立脚した上でしか主張できないのだ。
それでもなぜか、そういうビッグバンみたいなことが起きた。社会契約はなぜか成り立っているのだ。それ自体でしか自身の価値を認められないパラダイムが、どういうわけか「現に今」存在している。
ごめん何の話だっけ。あっええっと、言いたいのは、結局、誰しもが「△△を目指すのは、△△がそれ自体で素晴らしいものであり、目指すべきだからだ」という自己目的的なテーゼに基づいて動いているということだ。うんそう。どこかでね。レイヤーが異なるだけで、みんな結局、等しくどこかで崇高な何かを、純粋なまなざしで目指している。野菜を美味しいから食べる者も、長生きするために毎日血圧を測る者も、みんな一緒。みんな一緒て。なんて雑な結論なんだ。今、本当に眠いから! 戯言。社会契約説のくだりとか、明日起きてから読んだら血圧上がっちゃいそう。
寝るために寝る。