アルカトラズからの世界旅行

2024 - 09 - 13

たっぷり眠り、朝5時に起きた。熱は下がっていた。近場に「Happy Donut」という店を見つけ、なんて良い名前なんだと思って行った。

毒状態みたいな色のドーナツ。やっぱりアメリカに来たら、紫色のスイーツを食べなきゃね。食べてみると、味はまったく紫色ではなかった。でもすごく美味しかった。

たっぷり寝たはずだが、もっと寝たかった。この旅のテーマは「無理をしない」に決めた。僕はベッドでSlay the Spireをやりながら、二度寝した。

起きたら13時だった。

宿のこの部分の光を見つめながら、動くかどうか考えていた。まだ身体は痛いし、眠気もあった。扉の外から「タスケテ!」という声が聞こえたが、無視した。片言の日本語で助けを求めてくるのはおかしい。この部屋に日本人が泊まっていることを、なぜ知っているんだ。

しばらくぼうっとした。

ガバッと起き上がってみた。着替えて、外に出た。揺れるバスに乗り、特急電車に乗り替え、サンフランシスコに到着した。俺は旅行するのだ。

うおー! 暖かい! 過ごしやすい。雲がひとつもない。最高。歩くぞ

サンフランシスコは、比較的小さい区画にさまざまな顔の街並みが混在している。そして急坂と路面電車、それらをものともせず大量に行き交う車が魅力だ。『ベイマックス』の舞台は、サンフランシスコをベースにジャパン風味をミックスした立体的な街だった記憶がある。実際、サンフランシスコはすごく立体的だ。車が斜めに走っているのだ。

歩きまくった。目に見える景色すべてが、新しくて楽しかった。

でかいうんこある! と思って近づいたら、腐ったバナナだった。

お腹が減ったので、アメリカの定番スーパーマーケットチェーンらしいWHOLE FOODSに入った。「Life without pasta is not.(パスタの無い生活など無い)」広告コピーがアメリカのセンスだ。

ピザ。敗北を知らない。

最高のアドバイス。卵を乗せろ。

運動後、運動前、または運動していない時に。

すごいイボイボのカボチャが売ってあった。ここ以外でも、とにかく巨大なカボチャがたくさん売ってた。ハロウィン前だからかな?

アメリカのスーパーは、サプリコーナーがめちゃめちゃ充実していた。国民性が窺える。

お昼には、無難なチョコクッキーを買った。美味しかった。でも、巨大だったので食べきれなかった。

飲み物のコーナーは品揃えが豊富だったが、ひとつも見たことのある品がなくて、逆に悩みようがなかった。Vaperwave色のラベルに惹かれて、適当にこれを買ってみた。よく見たらKOMBUCHAと書いてあった。飲んでみた。昆布茶味の炭酸ジュースだった。美味い。美味いけど、二度と飲まない。それにしても量が多いんだよ。

さらに歩いた。カラフルな「IT’ SUGAR」という店を見つけた。お菓子屋さんのようだ。入ってみた。店内では爆音でヒップホップが流れていて、サングラスをかけた巨躯の警備員が何人も巡回していた。異様だった。

栄養価はいっさい無添加。

あなたはあなたがそれを求めていることを知っている。

キャンディは判断しない。

なんなんだ。ヒップホップの重低音がフロアを満たすなか、警備員たちが、お菓子ケース越しに僕を凝視していた。店内に、僕以外の客はいなかったからだ。僕は店を出た。

サンフランシスコはとにかく坂が多かった。ノブヒルやツインピークスといった丘が名所になっているから、たくさん登らされる。

写真のこの部分に、斜めの車が大量に停まっているのがわかる。サンフランシスコの住人にとっては、坂道発進や坂道での縦列駐車は慣れたものなのだろうか。

でかいうんこある! と思って近づいたら、本当にでかいうんこだった。写真だと分かりにくいが、卒業証書の筒くらいの太さがあった。こんなもの、超大御所の映画俳優でもない限り、人間に出すことは不可能に思えた。まあ犬を散歩させている人が多かったので、さしずめドーベルマンみたいな大型犬のものだろうと思う。

とにかく斜めの街。

急に、目の前にいた老夫婦の奥さんにスマホを渡され、私たちの写真を撮ってくれと頼まれた。旦那は僕の方を見ず、携帯電話を耳に当てて、ずっと誰かと通話をしていた。奥さんはそれに構わず、旦那の横に立ってこちらに笑顔を向けた。僕は「One, two, three」と言って、シャッターボタンを押した。旦那はカメラに目もくれず、依然として通話相手と喋り続けていた。奥さんは僕に「Thank you.」と言ったが、旦那は最後まで電話したまま、夫婦はどこかへ行った。

丘を登るとそこは中華街だった。中国語がそこかしこで飛び交って、きつい色合いのカオスな広告がひしめき合う活気ある街だった。

すごい。晴れ渡って、こんなにも空との距離が近い天国みたいなところに、中華街があるのだ。くらくらする。一日目のへなちょこ観光客の戯言だけど、僕はここに住みたいと思ってしまった。この高台でまぶしく光り輝く中華街には、どうしようもない魅力があったのだ。鳩の群れが屋根から屋根へと飛び移っていたが、逆光で直視できなかった。

サンフランシスコの木漏れ日。

フィッシャーマンズワーフというサンフランシスコの港街にたどり着いた。この「ミュゼ・メカニーク」が僕の目的地の一つだった。古いピンボールマシンやアーケードゲームが収蔵されていて、実際に遊ぶことのできる博物館だ。

どの筐体も、25セントコインをクレジットとして稼働した。ゲームと呼べる以前のからくり機械も多くて、上の写真はコインを投入すると風が吹いて布がたなびくという原始的なギミックだった。

クレジットを入れると、人間の死体に群がる動物がもぞもぞ動いた。

アーケードゲームもあった。シンプソンズのくにおくんっぽいベルトスクロールアクション。

『Ms. PAC-MAN』というのもあった。クリアしたら、パックマンとミズパックマンの馴れ初めが見られて面白かった。

これ、クレジットを入れてもまったく動かなかった。

この絵かわいい。

いろいろ遊んでいたら、25セントコインが尽きたので、両替をしようと思った。財布を見ると、1ドル札も5ドル札も無く、20ドル札しか入っていなかった。僕は両替機に、20ドル札を挿入した。これが大きな間違いだった。

ジャラジャラジャラ。吐き出されるコイン。止まらない。容器から溢れてしまいそうだ。まじか。僕の20ドル札一枚は、すべて25セント硬貨に変換された。

助けてくれ。

後ろから「Excuse me?」と声をかけられた。女性だった。手には僕の財布が握られていた。「Is this yours?」僕は両替機と格闘している間に、いつのまにか財布を落としていたらしかった。あぶな! 僕はお礼を言った。親切な人に助けられた。僕は80枚の25セント硬貨を財布に入れた。財布ははち切れそうになった。

ミュゼ・メカニークはとても楽しかった。2人で遊ぶ筐体も多かったので、誰かと来たかった。

フィッシャーマンズワーフのそこらじゅうに置いてある、この椅子がやばかった。見ての通り、座ると回るのだ。

回る。回転軸がふたつあって、体がその場でくるくる回りつつ、ゆっくりと全体も回転したので、360度周りの景色を見られた。

おもろすぎる。

僕が回っていたら、あっという間に人が集まってきて、みんなこの椅子の虜になった。若者はひと座りして「Uh, fuck.」と言った。

ハードロックカフェがここにもあった。どこにでもあるな。ローマにもあれば、六本木にもある。サンフランシスコの港にもあるのだ。

港から、そのまま船に乗った。僕にはもう一つ、行きたいところがあったのだ。

アルカトラズ島。南北戦争時代から軍事刑務所として利用され、「監獄島」と呼ばれた。アル・カポネなど著名な凶悪犯が収容された場所だ。「社会のルールを破れば牢屋に入れられ、牢屋のルールを破ればアルカトラズに入れられる」島周辺の入り組んだ海流が、脱獄を不可能にしていた。今は観光地化していて、船に乗って行けた。このためにアルカトラズ島を舞台とする映画『ザ・ロック』を観て予習したのだ。あんま予習にならなかったけど。

船を降りて、刑務所内を見学した。各語にローカライズされた音声ツアーガイドが用意されていて、それがものすごく良く出来ていた。当時の囚人の生活や看守の精神状況がありありと聴ける上質なボイスドラマになっているのだ。背後の環境音とかの作り込みがすごい。

独房。初めてここに容れられる日は、全裸で看守に引っ張られ、他の囚人たちから歓迎の罵声を浴びせられる。

各々は自分の独房を生活空間として受け入れていて、読んだ本や、描いた絵などを部屋に飾っていた。

脱獄が試みられた独房。ダミーの頭を置いて看守の目を誤魔化し、夜な夜なスプーンで通気口の裏に穴を掘っていたという。すごい。スプーンで穴を掘るというのがすごい。『ショーシャンクの空に』はこれを参照してるのかな?

違反を犯すなどした囚人は、懲罰房に容れられた。真っ暗闇に閉じ込められるのだ。オーディオガイドの音声が「実際に入れ」と言った。僕は入った。ガイド音声が「目を閉じろ」と言い、僕は目を閉じた。ガイド音声がこう続けた。

懲罰房は暗くて恐ろしかった。でも窓の向こうから漏れる光には、確かに外の世界の存在が感じられた。ここは自由だ。目を閉じれば、俺は世界中のどこへだって旅行することができたんだぜ。

音声ガイド(記憶)

懲罰房は、世界中に飛び立つ羽を伸ばすことのできる場所だったのだ。僕は感動した。

どこへだって行ける。

音声ガイドには、看守の声も収められていた。「暗い監獄島を歩くのは気が休まらなかった」「目を開けたまま眠っている囚人もいた」

建物の老朽化や維持費用などの理由から、アルカトラズ島の監獄は閉鎖された。音声ガイドで、他の刑務所へ移送される途中の囚人の声が語られた。

久しぶりの外の世界で、歩いてる外の人間を見かけた。俺は思った。彼らには目的地があるんだ、と。でも、俺には、行くべきところなんてなかった。

音声ガイド(記憶)

刑務所を出た。ガイドではあまり説明されなかったけど、閉鎖後のアルカトラズ島はインディアンに占拠され、彼らの権利獲得運動の場として使われた。この写真のように、そこかしこに「ここはインディアンの土地だ」とペイントされていた。

船に乗ってサンフランシスコに戻った。アルカトラズ島は、すごく面白かった。行ってよかった。

アメリカっぽいダイナーで晩御飯を食べた。ジュークボックスがあった。アメリカっぽ! 25セントコインが1クレジットだった。ここだ。僕は今こそが使いどきだとばかりにコインを入れまくって、曲をかけまくった。しかし、音量を調節することができなくて、うるさくて、止めた。

アルカトラズ島の物販で、いろいろ買っちゃった。これはそういう野球チームみたいなキャップ。他にも、囚人が食事の時に使っていたステンレス製の粗末なコップや、囚人規則が書かれた冊子などを購入した。

宿に帰った。外出中に部屋を片付けてもらおうと思って「MAID SERVICE PLEASE」の札をドアノブにかけておいたのだが、それがなぜか地面にはたき落とされていた。室内はまったく清掃されていなかった。どういうこと?

寝た。明日もサンフランシスコに行くぞ。