2025 - 12 - 29

日本漢字能力検定協会発表の2025年の「今年の漢字」は「熊」だったらしい。わかりました。

トロヤマイバッテリーズ協会発表の今年の漢字も決まっている。昨年から決まっていた。今年の漢字は「」です。

昨年、2024年の「今年の漢字」を僕は「文」にしたそれを選んだ理由は、昨年の僕が言うことには「知覚と意味のレベル、メディアと鑑賞のレベル、感情と身体のレベルなどの多層性を見つめていた」からだった。自己参照性、統語論と意味論のレベルの違い、マインドフルであることなどを意識して選んだのだと思うけれど、だとしたら「文」ではなく「字」にすべきだった。明らかに。だって「文」は文ではなく、字なのだから。字を選ぶなら「字」のほうが適切だ。どうしてそんな簡単なことに思い至らなかったのだろう。

僕はこのことに、昨年の「今年の漢字」を決めたたぶん三日後くらいに気づいた。気づいて、やっちゃったな〜と思い、来年こそはちゃんと「字」にするぞと決めていた。だから2025年の漢字は「字」です。さようなら。

このフォーラムのグランプリ作(橋本麦氏)の講演でも、4:55:55くらいに「何か文字言ってくれませんか」と言われた司会者が、咄嗟に「じゃあ『字』で」と答えていた。そういうこと。

過去のトロヤマイバッテリーズフライドの「今年の漢字」

2022年「
2023年「
2024年「
2025年「

来年は何になるんだろう。美しい字にしたいな。

7時50分に起きた。引き続き実家にいる。本を読んだり寝たり。ほんのちょっとだけ漫画を描き進めた。下書きの荒い部分の修正。

昨日の日記で「NSFWの話題は日記に書くのを控えてる」と書いた。これを書いたとき、すこし悲しかった。

エッチな話題を避ける一番の大きな理由はおそらく、性的な話題は特定の他者や特定の属性の人などを消費、搾取することと常に隣り合わせだからだ。僕個人は単に嗜好的な話をしているつもりでも、対象化される側はまるでモノ扱いされたような感覚をおぼえる可能性がある。そのような暴力に与したくない。僕は、このサイトの日記の内容を理由に誰かが傷ついたり誰かに嫌われること自体はまったく構わない(それを気にしだしたら、SNSと同じになってしまう(SNSも本来気にしなくていい場だと思うが))つもりだったのだけれど、性という大きなフィールドでその一方向性の暴力を振るうのには、なんだか心理的に抵抗があるみたいだった。

まあ卑猥な話題を避けるのは、わりと常識的な感覚? だと思うけれど。自分に常識的な感覚が備わっていることのほうに驚く。

悲しさをおぼえたのはなぜかといえば、性的な話題を封印することで、書けることがごっそり減ってしまっているなと気づいたからだ。僕はたぶん性的な事柄への関心が強いし、自分の性遍歴は人格形成に密接に関わっていると感じている。他人とのコミュニケーションにおいても、いつでも性的な視線が微小に/大いに介在している。しかも困ったことに、ここ最近の僕の人生はどんどんエロくなってきている。どんどんエロくなってきている♠︎(ヒソカ) それなのに、それらは書けないとなると、僕は日記に書くことでようやく自分を把握できているみたいなところがあるから、不安になる。自分が分離しているような気になる。だから悲しいです。そういう話。

思い切ってR18の話題も解禁しようかなとか昨日考えてみたけれど、やっぱりやめた。脳内で文章を練ってみたら、案の定きもかったから。せめて僕はかなりきもいという事実だけは書いておく。その程度の事実じゃ何も書いてないのと大差ないけど。具体的なきもさを開陳できないのが申し訳ない。

一日だけ、自分の性の遍歴をあけすけに書き連ねるとかしてもいいかもな。その記事だけ冒頭で注意喚起をすれば、迷惑は起こらない(少なくとも自分のなかの倫理的なラインはクリアする)。確かに在ることをあたかも無いかのように書いてないことが、僕はどうしても不安で落ち着かないのだ。これって病気ですか?

あるいは、小説や漫画の形式でアウトプットするか。「文学こそは、秘密が暴露されることなしに、すべてを言うことができ、すべてを告白することができるあの特権的な場を開くものなのです」と書いてあったし。どこに書いてあったんだっけ……。太宰治の『パンドラの匣』か『正義と微笑』だったと思うんだけど、青空文庫で検索しても出なかったので、新潮文庫版のあとがきとかに書かれていたのかも。

年末だ。

父が今いるオーストラリアは、日本より2時間早いらしい。通常は+1時間だけれど、今はサマータイムのためさらに追加で+1時間されている。オーストラリアは夏かあ。

なんかオーストラリアかニュージーランドの”らしさ”を表す汎用的なイメージとして、サンタクロースがサーフィンをしている画像か映像を見たことあるような気がするんだけど、よく考えたらあれはおかしい。サーフィンはたまに押し寄せる波に乗る遊びであって、プレゼントを運ぶための移動手段にはならない。記憶違いだろうか。サーフィンじゃなくて水上スキーみたいな感じだったかな? そうだとしたら、それを引っ張っているのは何? 船舶なわけないし(本末転倒すぎる)、だとしたら生き物? トナカイのイメージは北半球の”そり”でしか使われないとしたら、イルカ? あるいはサメ? サメだったら嫌だな。

「南半球 サンタクロース」で調べたらほぼサーフィンしてるサンタの画像で埋め尽くされていた。記憶のほうが正しかった。でもだとしたらやっぱり変だ。サーフィンはレジャーでしかないだろ。