あたたかい場所へ行こうよ

2025 - 12 - 30

8時に起きた。

実家に、叔父と叔母が来ていた。警戒心の強い猫が、しだいに叔父と叔母にも体を触らせるようになってきた。叔父たちは祖母と三人で、蕎麦を食べに出掛けていた。

ケーキ。

みんなでこたつに入って、ドキュメント72時間の年末スペシャルを見ていた。年末だなあ。

パートナーも同じ番組を見ていた。年末。

叔父は座椅子に腰を下ろして、流れているテレビに対して常に何かコメントをつけていた。「毎晩夕刊三部も買っとったら、読み切るまでに朝刊出てしまうよな」「一人入園料10円やったら全然採算取れへんよな。もう無料にしたったらええじゃんがな。だって10円じゃったら毎日入っても一ヶ月30日で300円やけん、じゃけそんなんじゃスタッフ一人分にもならんが」「100円にしたらええがな。100円にして、子供は半額とかにしたったらええがな?」番組のことをよく見ていて、それだけよく喋るんだけど、本当に内容にとりとめがない。フォーカスがない。そんなコメントが聴いてて心地よくもあり、不安でもあった。叔父さんはいつもこんな感じな気がする。自宅でも叔母さんと二人でこんなノリでテレビを見ているのだろうか?

熊が緊急銃猟で駆除されたニュースを見て、叔父は「街にやって来たかて、そいつを殺してしまったら意味ないがな。逃して山に戻さんといけんがな」と言った。叔母はそれに対して「逃してどうするん」と訊いた。「だって殺してしまっても、そいつが死ぬだけじゃが。人間が怖いって学ばせられないでしょ」「熊がどうやって学ぶん。他の熊に教えるの?」「それは知らんけど。じゃあ釣り堀で、魚逃したら魚出て来んくなるのはなんで?」「あぁ〜。警戒心が強くなるってことかなあ?」などと会話していた。

諸説ありそうだけど、熊の侵攻を防ぐためには、人里馴れしやすい個体が増えないように、逃すよりも殺して淘汰していくほうがいいと思う。逃したところで一度人里を学習した熊はまたやって来ることが多いし、熊が他の熊に警戒心を伝えるなんてことはないだろうから。また、全体の個体数を減らそうという方針もあるだろう。だから叔父の「逃がすほうがいい」意見は的確には思えなかったのだけれど、それはそれとして、彼のそのテレビを見て思ったことを脊髄反射的に喋り続けるテンポ感は面白かった。釣り堀の具体例がスッと出るあたりはすごいなと思った。

祖母も叔父たちの会話のノリに適応していた、というか、これがこの人たちの地元では標準的な会話なのだろうのか? 晩御飯のとき、叔母が「このカブ美味しい。この色って、赤いカブ?」と祖母に尋ねると、祖母は「あのね、こんなに丸い大きなカブが売ってたの」と答えていて発狂しそうになった。赤いカブかどうか訊かれたら、赤いカブかどうかを答えるのが相場じゃないの? 面白いな〜。

「トロヤちゃん。これ」と言って、叔父たちがお年玉をくれた。ウオー。お礼を言って受け取った。ぽち袋には「元気に楽しくがんばって!!」と書いてあった。「元気に」も「楽しく」もうれしかった。僕って叔父たちからも何かを頑張ってる(あるいは頑張るべき)と思われてるんだ。

夜になった。叔父叔母と祖母に別れを告げて、家に帰ってきた。パートナーが「おかえり」と言ってくれた。

彼とテレビで戦中戦後の日本映画特集を見ながら、おばけ煙突が1本に見えるのはどういう状況なのかについて話し合ったりした。小津安二郎の『長屋紳士録』で、おねしょをした子供が、小便の染みのついた敷布団をうちわで仰ぎながら干しているシーンが流れて来たとき、僕は「(おねしょの染みって)乾燥させるんだ? 水で洗わなくていいの?」と言った。言ったあと、このコメントの温度感って今日の叔父と同じかもと思った。

年末に拍車がかかって来ている。今年中にエルデンリング終わらせたい。ミケラダーンを倒せるかどうか。